HR、ハームリダクションとアディクションアプローチのあいだの緊張について書きましたが、つけ足しがあります。
ハームリダクションは、本質的にアディクションアプローチよりきびしいということです。
どちらも依存症への対処法であることに変わりはない。
どちらも薬物を「やめろ」とはいいません。ではどうするのか。
ハームリダクションは、依存症者の安全、健康を優先する。麻薬などを看護師の見守りのもとで使わせたり、清潔な注射針や救急セットを与えたりもします。麻薬を勧めているわけではなく、とにかく依存症者とのあいだに信頼関係を築こうとする。そのうえで、本人がその気になったら回復プログラムにつなげます。
禁止と処罰よりずっと効果的で、死亡者も依存症者も減りました。

一方、アディクションアプローチは、「底つき」をめざします。
依存症者が依存から抜け出せず、失敗をくり返して破滅し、もうだめだと悟ったところで回復プログラムにつなげる。ある意味、依存を徹底させるわけです。そのために本人を支援せず、むしろ家族や周囲を支援する。なまじの方法では依存者は回復に向かわないとわかっているから。
一見すると、依存症者に「甘い」ハームリダクション、「きびしい」アディクションアプローチに見えます。
けれど、本質は逆ではないか。
ほんとうにきびしいのはハームリダクションで、アディクションアプローチにはむしろやさしさがある。
なぜなら、ハームリダクションが徹底して本人の意志を尊重するという名目のもとに、依存症者を「突き放し」ているのに対し、アディクションアプローチは依存症者に底をつかせるという治療者の意志が働くからです。治療者は、家族や周囲の人を通してであっても、本人に「介入」しようとする。自由意志だけに期待しているわけではない。

どちらがいいというのではありません。
そもそも人間に自由意志なんてあるのかという哲学的な問いもある。
おそらくすぐれた臨床家は、依存症者一人ひとりにその場その場で両方の方式を使っているのでしょう。二つの方式があると意識することもなく。
ここでもまた、正解はありません。依存症からの回復がつねに「回復しつづけること」であるように、依存症と治療者のかかわりもまた、延々と「かかわりつづけること」であるにちがいない。解はつねに上書きされゆくのでしょう。
(2026年2月2日)
