海の底を見る

 サトちゃん、とみんなに呼ばれていました。
 4年前、自ら消えることを選んだ精神障害の当事者です。彼女が自分を消した場所を、今週ようやく訪れることができました。北海道浦河町から遠くない漁港です。
 2020年の年末、サトちゃんは外来の診療を終えてまもなく姿を消しました。たくさんの仲間が探しまわり、警察もダイバーやヘリコプターを動員して捜索活動を行ったけれど見つからなかった。そのサトちゃんが海のなかから見つかったのは、去年夏のことです。
 それから1年、現場を訪れ、近くの岸壁から花を投げ入れました。

 サトちゃんは関東地方から北海道の浦河にやって来た当事者です。
 本人は適応障害といっていたけれど、関東地方では統合失調症と診断されたこともあります。しろうとのぼくが見ても統合失調症ではなかった。たぶん広い意味での不安障害。でもそういう疾患名がどれもピッタリあてはまる感じはありませんでした。いったん気分が落ちこむと引きこもって自分いじめがつづき、つらそうだった。調子がいいときは健常者でした。

 サトちゃんを思い返して不思議なのは、状況的には精神障害者なのに、会うほどに、話をするほどに、精神障害者ではなくなったことです。いつのまにかただの友だちのひとりだった。
 それだけに、消えてしまったときは愕然としました。

 1年ほど前から調子が悪いとは聞いていたし、最後に外来の待合室で見たときはまったく顔に表情がなかった。つらいときには「消えたくなる」といっていたけれど、そのことばどおりになってしまった。いなくなってはじめて、サトちゃんの病気の重さを知りました。

 精神科の世界では、ときどきこうして命が消えます。
 そのたびに、ぼくらはうろたえる。いちばん苦労したのは消えた本人であり、いちばんつらいのは家族だろうから、ぼくらの衝撃はなにほどのものでもない。けれど立ち止まり、思いがよぎります。何かできることはなかったのか、気づくことはできなかったのか、どこでどうまちがったのか、なぜかかわれなかったのか。
 サトちゃんは、そういうことをいまさらながらぼくらに思わせてくれる存在でした。

 いまになってもなお、ぼくはサトちゃんの病気がいったい何だったのかがわかりません。なぜ消えたのかもわからない。消えることは予想できなかったというより、予想することなんて許されなかったという感じすらする。それだけの強度の病気を、彼女は生ききったのではないか。そんなことをぼくはとりとめもなく考えます。
 親子ほど年が離れていたので、彼女と深い話をすることはあまりなかった。でも彼女の苦労は親しい友人たちからよく聞きました。その親しい友人たちと、ぼくはおりにふれ彼女の苦労を語りあいます。
 彼女がこれ以上消えてしまわないように。
(2024年6月26日)