ようやく、見通しが開けた気分です。
去年夏から1年あまり、精神科の世界を知りたいと、「制度的精神療法」についての本をあれこれ読んできました。深い森をさまよっていたけれど、少しだけ道が見えてきました。
『フェリックス・ガタリと現代思想』という本に出会えたので。
ガタリ思想の研究者15人の論考を収めた本です。もっと早くこの本に出会っていればよかった。いままでのぐるぐるまわりは何だったのか。いや、でも、この彷徨こそがガタリについて考えるということなんでしょう。

(村澤真保呂ほか編、ナカニシヤ出版、2022年)
あらかじめいっておくと、ぼくはこの本を「読めて」はいません。
論文のほとんどは理解不能。だのになぜ感想文を書くのか。それはぼくがガタリの世界に、精神病という、いわば「裏口」から入っているからです。
精神病、狂気との出会いがガタリに決定的な影響を与えている。そう感じるからこそ、ぼくはずっと彼の本を読もうとしてきた。彼が狂気について語ることはわかるし納得できる。なにしろガタリは突出した哲人でありながら、生涯を精神病院で精神障害者とともにすごした人です。なみの哲学者の思考にはない、狂気の精確な位置づけがある。
では彼の捉えた狂気とはどのようなものだったのか。
それはぼくが解説できることではないし、そんなことをすべきではない気がする。ガタリ思想は系統だった理論ではなく、現実社会のそのときその場で、それなりに参照すべきものではないか。理論というより精神、心がまえ、のようなもの。それでいて、彼の思考はハイデガーやラカンを超えるという人がいる。哲学を超えた哲学、ほとんど信心の世界です。
で、ぼくもまた日々、じわりとガタリへの信心を深めています。

今回『フェリックス・ガタリと現代思想』を読んで、「アッ!」と思ったことがありました。
フランソワ・トルケというガタリ研究者のひとことです。
「フェリックスはなによりもまずよく喋る。彼の言葉は泉のように湧き出る。彼は文章を書くのは苦手だった」(305頁)
ガタリという人の実像がふわっと現れたかのようでした。
そうか、書くの、苦手だったんだ。
難解な文章は、難解な思考で閉塞していたからではない。彼の頭のなかには常時、思考が、言語が、奔流のように渦まいていた。それを書くなんてまどろっこしくてできなかったのでしょう。だからあんな文章になった。
内容が深すぎて、凝縮されすぎて、字面だけでは理解できない。
それがわかっただけでも、この本を読む価値がありました。
(2025年12月1日)
