ニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相が、辞任することになりました。
ぼくがファンになった政治家がやめるのはとても残念です。でも彼女は辞任することで、ぼくらにラジカルな問いを投げかけているとも思います。ワシントン・ポストのモニカ・ヘスさんのコラムを読んで思いました(Jacinda Ardern didn’t make working motherhood look easy. She made it look real. By Monica Hesse. Jan. 19, 2023, The Washington Post)。
アーダーン首相は18日の会見でいっています。
「私は自分の仕事をするのに必要なエネルギーを十分に持っていない。だからやめます。私はひとりの人間であり、政治家は誰もみな人間です。私は自分のすべてを出して終わりました」
会見は、いかにも彼女らしい「親切の政治」のトーンに貫かれていたと、ジャシンダマニア(アーダーン首相の熱烈な支持者)でありコラムニストでもあるヘスさんはいいます。
・・・親切の政治が、彼女を世界的な政治家にした。在任中に子どもを生み育てた首相であり、時代の先頭を走るフェミニスト。彼女はジャシンダマニアの期待に応えたであろうか。私たちは彼女が何をなしとげたか知っているだろうか。フィンランドのサンナ・マリン首相とともに並ぶ彼女の写真を、私たちは映画のスーパー・ヒーローのように見つめている・・・
彼女の人気は、乳児を抱いて国連総会に現れたといったパフォーマンスだけではなく、国内で起きた大量殺人を機に果断な銃規制を進め、コロナ禍を最小の犠牲で乗り切り、女性や先住民、LGBTQへの支援を惜しまないなど、数々の実績に支えられています。
そのスーパー・ヒーローも、国の指導者であり同時に母親であるのはかんたんなことではなかった。そこを懸命にがんばって乗り越えるのではなく、もういいとあっさり降りることにしたという、その人間味を失わない生き方にジャシンダマニアはまた打たれるのです。
・・・私たちは彼女が、与えられた仕事をした人だったかと問うべきではない。彼女の仕事はどうあるべきだったかと問うべきだ。政治家はこれまでのような政治を進めるべきなのか、それとも政治家も労働者や市民とおなじ人間で、日々の経験を自分たちの国をどう理解しどう動かすかに活かすべきなのか。私たちがシステムに従うのではなく、私たちに合わせてシステムが変わるべきなのだ・・・
変わるべきは、システムではないのか。
アーダーン首相は、並外れた人が並外れた力を発揮する「スーパー」な人生を送ろうとはしなかった。並外れた人のはずなのに、ふつうの人とおなじように働き、かかわり、楽しむ日々を送りたいと思った。それは「強い人」からみれば敗北の人生でしょう。でもぼくのようなジャシンダマニアから見れば、立ち上がって拍手したい生き方です。
(2023年1月24日)