「1984年」の影

「1984年」が再び禁書になっている。
 旧ソ連ではなく、アメリカで。正確には、アメリカの保守共和党が支配する州の多くで。
 全体主義国家でこの本が禁書になるのはわかる。でもなぜアメリカで禁書になるのか?
 イギリスの作家、チャーリー・イングリッシュさんの寄稿に笑いました(‘1984’ Hasn’t Changed, but America Has. By Charlie English. July 27, 2025. The New York Times)。

ジョージ・オーウェル『1984年』(角川文庫版)

「1984年」は、ジョージ・オーウェルのSF小説で、1949年出版です。
 全体主義が進んだ未来社会で、市民は「ビッグブラザー」と呼ばれる指導者に徹底的に監視され、あやつられている。事実はつねに「真理省」が修正、改ざんするので、市民は批判や疑問を抱くことがない。そうした社会で、ふとしたことから体制に疑問を持ってしまった主人公の悲劇を描いています。
 とてもよくできたSFだと、学生のころ楽しく読みました。

「1984年」は世界的ベストセラーになったけれど、共産圏では禁書でした。全体主義、独裁政権がどう作られ、機能するかがあまりにも赤裸々に描かれていたからです。
 そういう本を、密かにロシア国内に送りこむ作戦を、CIAは冷戦時代に展開していました。秘密工作「書籍作戦」で東側諸国に送り込まれた書籍や雑誌は、「1984年」をふくめ1千万冊になったそうです。
 書籍作戦は、全体主義を内から崩す“自由の力”になりました。

 ところが、その「1984年」がいまアメリカの各地で禁書になっている。
 アイオワ州は2023年、学校図書館の数千冊の本を禁書にし、そのなかに「1984年」を含めています。LGBTQ+やフェミニズム、黒人作家の著作を禁書にするのはわかるけれど、なぜ「1984年」なのか。
 イングリッシュさんによれば、「全体主義を風刺する作家の著作」だからです。ジョージ・オーウェルだけでなく、オルダス・ハクスリーやカート・ヴォネガットなど、体制を批判し、揶揄する作家の作品は軒並み禁止されている。
 国や支配者を批判したり笑ったりするような本は、「子どもに読ませてはならない」ということなのでしょう。
 フロリダ、テキサス、ケンタッキーなど多くの州がアイオワにつづきました。アメリカ・ペンクラブによれば、全国の禁書リストは1万6千件近くになります。

 かつてレーガン大統領は「自由が共産主義に勝った」と演説したけれど、その自由はどこにいったのか。こんどはCIAではなく、ロシアの情報機関FSBがアメリカに「1984年」を密輸入する番じゃないでしょうか。
(2025年8月8日)