さようなら、ポスト

 ワシントン・ポスト紙の購読をやめることにしました。
 ぼくはおもにニューヨークタイムズとワシントン・ポストを読んでこのブログを書いてきました。タイムズがメインでポストはサブといった感じでしたが、このうちポスト紙の購読をやめます。ポスト紙が、社主を批判した漫画をボツにしたからです。
 言論機関が、笑いを殺してはいけません。

ワシントン・ポスト紙のロゴ

 ことの次第はニューヨーク・タイムズに載っていました(Washington Post Cartoonist Quits After Jeff Bezos Cartoon Is Killed. Jan. 3, 2025. The New York Times)。
 問題の一コマ漫画は、ワシントン・ポストの社主でアマゾンの創業者でもあるジェフ・ベゾス氏が、トランプ次期大統領にすり寄り献金する姿を描いたものです。ベゾス氏だけでなく、巨大テック企業メタのザッカーバーグ氏やオープンAIのサム・アルトマン氏らもいっしでした。トランプ政権の庇護を求め、金もうけに目がくらむ商売人を笑った漫画です。

 作者のアン・テルネーズさんはネットに「ボツになった作品」を掲載していました。

https://anntelnaes.substack.com/p/why-im-quitting-the-washington-post

 テルネーズさんは、これまで自分の作品がボツになったことはなかったけれど、状況は一変した、メディアは危機に面しているといいます。政治漫画家としての自分の仕事は権力を批判することであり、それができなくなった以上ポスト紙をやめるとのべました。

 自分の会社のトップを漫画で笑うなんて、一般企業ではできません。しかしメディアの場合、事情はまったく異なる。メディアは言論機関として政府や公権力を批判するけれど、それとおなじように自分自身への批判も受けとめなければならない。社主を笑った漫画をボツにするなんて、まともな報道機関のすることではありません。
 ワシントン・ポストは迷走のあげく、ベゾス氏に牙を抜かれてしまった。

 ぼくはテレビ局で報道の仕事をしていたころ、自分の会社が不祥事を起こしたことがあります。責任者である社長の辞任を求めて上申書を書き、社内で孤立しました。そのとき驚いたのは、会社がぼくにかけた圧力ではなかった。報道局の仲間と思っていたジャーナリストの多くが、「報道の自由」より「会社」を守ろうとしたことです。
 だめになる組織とはどういうものか、そのときにわかりました。組織は、存続そのものが目的になったらおしまいです。テルネーズさんが辞めるのも無理はない。彼女にはご苦労さまと声をかけ、応援の拍手を送りたい。

「あのワシントン・ポスト」を捨てるのは残念です。さびしいけれどやむをえない。
 こんどはイギリスのガーディアンを読むことにします。
(2025年1月10日)