精神医学者、中井久夫の「宇宙」が新しく見えました。
彼の著作は過去に何冊も読んでいたけれど、ぼくはわかっていなかった。広大な中井ワールドのほんの一片を、わかった気になっていただけだとわかりました。

ふとしたことからぼくは彼の「寛解過程論」をあらためて読む機会があり、何冊かの著作や「中井関連本」を読んでいます。それらを行ったり来たりして、あらためて見えてきたものがありました。
どうしてぼくには長年それが見えなかったのか不思議です。
たとえば「少数派」にかんして。
統合失調症から回復した人、寛解患者に対し、中井は「病気以前」にもどらないほうがいいといっている。「少数派」になることを勧めています。
「寛解患者のほぼ安定した生き方の一つは――あくまでも一つであるが――、巧みな少数派として生きることである、と思う」(『世に棲む患者』)

統合失調症になった人が病気以前にもどったら、また病気になってしまう。だから別の生き方を考えてはどうか。この筋道は、北海道浦河町の精神科を見てきたぼくにはあたりまえです。けれど中井がこれを書いた1980年、一般社会にそんな風潮はありませんでした。病気を治して元通りになり、もとの社会に復帰するのが本人のや医師の願いだった。そうした風潮に、中井久夫は異を唱えている。
ぼくが学んだことのひとつは、この「少数派論」の背景でした。
そこには日本の精神医療を変えたいという、中井の持続する意思がうかがえる。
『世に棲む患者』は「発表以来、日本の心ある臨床家の拠り所となりつづけている」と、松本卓也さんは書きました。これは「反精神医学」を唱えたイギリスの精神科医、R・D・レインへの「応答であった」ともいっている(図書新聞 2022年8月)。

レインを「僚友」と呼んだ中井久夫は、だからといってレインの反精神医学を唱えることも否定することもなかった。しかし松本さんによれば、レインが分裂病の経験を「旅路」にたとえたことに応え、中井は『世に棲む患者』で「少数派になること」と書いている。さらに「レインの毒は薄められた形で今日の精神医学にずいぶん取りこまれている」とも述べている。
レインを背景にしたところで、中井久夫の思想は鮮明に浮びあがるものがあります。
もうわかったと思っていた中井ワールドが、新しい姿で見えてくる。
これほどの「不世出の精神科医」の著作は、くり返し読まないとわからない厚みと広がりがあるのですね。
(2026年10月16日)
