別種の狂気

 先週、フランソワ・トスケルについて書きました。
 20世紀の南フランスで、前衛的な精神科を実践した精神科医です。鉄格子を廃止し、患者の束縛をなくし、医者と患者を対等な存在とみなしました。
 イタリアが1970年代に精神科病院の廃止をはじめる30年も前に。

 そういう前衛的な精神科は、どこからくるのか。
 それを考えたとき、参照すべきはミシェル・フーコーだと思いました。彼は『狂気の歴史』の冒頭でこう書いています。
・・・パスカルによると、「人間が狂気じみているのは必然的であるので、狂気じみていないことも、別種の狂気の傾向からいうと、やはり狂気じみていることになるだろう」・・・
 その後の記述とともに、ぼくはここをこう読みとっています。
「狂気じみていない」、すなわちふつうとされる人びとは、18世紀フランスで、またその後の各国で、精神障害者を排除し病院に閉じこめるようになった。それこそは「別種の狂気」というべき傾向だろう。

ミシェル・フーコー『狂気の歴史』(新潮社、1975年)

 フーコーはまたこうも論じている。
・・・狂人とは何であるか?・・・これらの質問は、学者よりも賢者が、医師よりも哲人が、批評家や懐疑論者や人間論者などの一群の思慮深い人々が、自分に課している問いかけであった・・・
 精神障害へのかかわりは、「学者や医師」によるものと「賢者や哲人」によるものと、二重の体系、二つのことなった視線がある。前者にくらべ、後者はより深い問いかけになるという意味だろうとぼくは読みました。

トスケルが前衛的な精神科を実践した南フランスのサンタルバン村
(Credit: PASQUION, Openverse)

 学者や医師は、精神病を診断し、病院を作って患者を送りこむ。一方、賢者、哲人、人間論者は、医療をとおしてではなく、人間としての「狂人」にかかわり、前衛の精神科へと向かおうとする。
 フランソワ・トスケルは、医師であるまえに哲人だったのでしょう。自らの疎外の経験に照らし、精神障害者もまた、自分とおなじように疎外されたものと認識した。
 イタリアで精神科病院を廃止したフランコ・バザーリアも、現象学を学び、医者である前に賢者、人間論者だった。トスケルとおなじように病院の鉄格子をなくし、患者を町のなかに送り出している。

 前衛の精神科は、「澄みきった世界」の医療からは生まれない。
 フランスでもイタリアでも、日本の浦河でも。
 トスケルの史実に触発され、ぼくはとりとめもなくそんなことを考えています。
(2024年8月13日)