匂いで予知する

 パーキンソン病は匂いでわかる。
 スコットランドの72歳の女性がそういっています。しかも、パーキンソン病と診断される何年も前に、特有の匂いがするから自分にはわかるといいます。この話が神経学の分野ではかなりの話題になっているらしい。スコット・セイヤーさんという作家の長文のルポを、目が覚めるような思いで読みました(The Woman Who Could Smell Parkinson’s. By Scott Sayare. June 14, 2024. The New York Times)

 スコットランドに住むジョイ・ミルンさんには、特別な嗅覚があります。麻酔科医の夫が帰宅すると、いつも麻酔薬と血液の匂いがしていました。それはミルンさん以外、誰もわからなかった。ところが夫が32歳になってまもなく、これまでとちがう匂いを発している。果醪(かもろみ)、ぶどうをしぼってワインにする前の果汁に似た匂いだったそうです。その匂いは、消えることがなかった。

 夫がパーキンソン病と診断されたのはそれから12年後、44歳のときです。
 病気が進んでたいへんになったある日、ミルンさんは助けを求めてパーキンソン病の患者と家族の会に出かけました。そこでハッとします。前に座った患者から、あの匂いがしてくる。夫以外の人から「夫の匂い」がする。それこそが「パーキンソン病の匂い」でした。

 この話に興味を持ったエジンバラ大学のティロ・クナス教授が、実験を行っています。
 パーキンソン病の患者6人と健常者6人、合わせて12人に、洗ったばかりのTシャツを1日着てもらう。それを後日、ジョイさんに嗅いでもらうという実験です。ミルンさんは病気の6人を、Tシャツの匂いから正確に言い当てました。しかし健常者ひとりもまた病気と「誤判定」してしまった。匂いは、それほど正確なものではないと実験した人たちは思ったようです。
 ところが1年後、事態が急転します。
 誤判定とされた健常者が、なんとパーキンソン病になったのです。
 ミルンさんは正確に、病気を「予知」していたのでした。

 いまでは多くの研究者が、パーキンソン病には匂いがあり、ミルンさんが発病前からそれを判別できると考えています。いったいその匂いは何なのか。
 おそらくそれは、神経細胞の残骸からきている。パーキンソン病の患者は病期の進行とともに脳細胞が死滅しますが、このとき壊れた神経細胞の残骸が特定の成分となり、排泄物のように皮脂、皮膚表面の脂のなかに出てくる。それをミルンさんだけが嗅ぎ分けているのではないか。科学者はそう考え、患者の皮脂成分を分析しています。それがうまくいけば、パーキンソン病の早期診断が可能になるでしょう。

 もしも匂いから、あるいは人間の皮脂の成分から病気が診断できるようになれば、医学はまったく新しい分野をきりひらくことになります。
(2024年6月18日)