幻聴を作る。
こんな実験をスイスの科学者が進めています。
幻聴は、現実にはない音や、そこにいない人の声が聞こえる現象で、統合失調症患者がよく訴える症状です。きわめて悩ましい現象で、かなりの精神的苦痛や重荷になることもありますが、なぜそんなことが起きるかはわからない。もしそのメカニズムが解明されれば、精神科にとっては大ニュースです(If You’ve Ever Heard a Voice That Wasn’t There, This Could Be Why. Oct. 18, 2023. The New York Times)。
ひじょうに興味深いこの実験を行ったのはスイス工科大学の認知神経学者、パヴォ・オレピック(Pavo Orepic)博士たちでした。その内容は専門誌「心理医学」(Psychological Medicine)10月号に発表されています。
博士たちは精神科の疾患歴がない、いわゆる健常者24人にひとつの実験を行いました。
椅子に座った被検者に机の上のボタンを押してもらう。すると機械装置が被検者の背中を棒でつつく、という装置を使った実験です。
最初はボタンを押し、ふつうに背中をつつく。でも次に、ボタンを押してから、ちょっと間をおいてつつくように機械を調整する。すると被検者は、自分の感覚がなんだかおかしくなっているような気がする。部屋に誰かほかの人がいるんじゃないか、という感覚を覚えるようになる。こうなった被検者に「ピンク・ノイズ」とよばれる雑音を聞かせると、被検者はありもしない声を聞くことがあるといいます。つまり幻聴です。
この実験からわかることは、幻聴などの神経学的な現象は、脳が環境と自分の感覚が一致しない混乱に直面したところではじまるのではないかということです。
幻聴はじつはかなりよくあることで、一般人口のたぶん5から10%が、人生のある時点でありもしない声を聞いていると研究者は見ています。精神科の患者だけにあるわけではない、連続性があるとオレピック博士はいいます。
「私たちは誰もがときに幻覚を持つ。たとえば疲れているときなど、とくに。それが人によって強く出るということでしょう」
自分の感覚と現実の反応がちがう、そこで困った脳が幻聴、幻覚を生み出している。この説明はとてもわかりやすい。幻聴を抱えている多くの人の感覚とも一致するでしょう。
それがわかったからといって、幻聴がなくなるわけではない。けれど幻聴はけっしてわけのわからない無意味な現象ではなく、脳がそれなりに苦労した結果なのだと捉えることができるなら、一定の意味を考えることができる。幻聴というものの見方が変わります。
(2023年10月20日)