村の子育て

 村で子育てができたらどんなにいいだろうか。
 ジャーナリストのルイーズ・ペリーさんが書いています。
 ここでいう村は、都会から遠く離れた田園ではない。むかしの村のように、人のつながりが濃密なところという意味です。そこで、子どもをみんなで育てることはできないだろうか(It’s Not Normal to Raise Children Like This. By Louise Perry . Oct. 14, 2025. The New York Times)。

 ひとつの例として紹介されていたのが、ロンドンの真ん中にあるエリザベス・オールズフィールドさんの家でした。
 夫婦と2人の子ども、それに友人の女性がひとり、さらに教会で知り合った夫婦の合わせて7人がひとつの家に住んでいます。みんなで生活費を出し合い、食事や家事を分担する。子育てもいっしょにするからベビーシッターがいらない。たまたまよその子が来たら、その子もいっしょに見てしまう。ここには孤独というものがありません。

 祖父母や親族、血縁のない友人知人までもがいっしょになって暮らす「拡大家族」は、むかしの村の日常でした。
 そういう暮らしを取りもどそうという動きがあちこちにある。彼らを支援する「リブ・ニアー・フレンズ」というサイトもあって、多人数がひとつ屋根の下で暮らすとか、ひとつの敷地に複数の家を建てて生活するなど、多くの形が模索されている。テキサス州では女性だけ11人が9匹の犬と暮らしているところもあります。

 孤立した親だけで子育てをするのは、正常ではないとペリーさんはいいます。
「人間の赤ん坊は生まれたとき、自分で生きる力をほとんど持っていない。(狩猟採集の時代には)赤ん坊を育てる母親は長期間危険にさらされるから、人類の祖先は母親代わりになるたくさんの人が育児に加わるようにしてきた。つまり彼らは村に頼ったのだ」
 女は、村のたくさんの女に囲まれて出産した。出産後もみんなで赤ん坊を育てるのが、つい数世紀前までのイングランドの伝統だった。

 とはいえ、村は村。他人が自分のなかに入りこんでくる。
 個人として「自立」した現代人が、いまさら村社会にもどることはできない。ペリーさんはいいます。
 もし村がほしいなら、あなたは村人にならなければならない。
 村は、みんなが助けてくれるところ。けれどそれは、あたなもまたみんなを助けなければならないということでもある。そのややこしさ、めんどくささこそが大事ではないか。
 もどれないといいながら、それをはばむ「自立」を疑いたい気分もしてきます。
(2025年10月17日)