決まり文句の人間性

 患者への告知は、AIの方が上手だ。
 医師がこんな投稿をしています。ずいぶん安易な話と一瞬思ったけれど、よく読めばAI、人工知能に任せるということではない。AIのように「決まり切ったことばで告知」する方が、医療の場ではずっと人間的になれるという、ちょっと意表を突く内容でした(I’m a Doctor. ChatGPT’s Bedside Manner Is Better Than Mine. By Jonathan Reisman. Oct. 5, 2024. The New York Times)。

 投稿したのは、文筆家としても知られるジョナサン・リースマン医師です。
 彼は学生のころ、患者家族に対してはおもいやりと共感をもって語りかけるよう教育されました。医師の自分が、人間として患者に接する場面はAIにはできないと思っていた。思いやりや共感なんてAIにはないものだから。

 医学部では、たとえばがんの告知をする場合、部屋に入っていきなり検査結果を突きつけてはならないと教わります。「残念ですが」など余計なことはいわず、すみやかに肝心な話に入る。専門用語を使わず、ストレートに「がんです」という。いったん伝えたら、患者が受け止めるまであいだを置き、それからが治療についての話し合いをはじめる。

 医学部の学生にとって、医者と患者の話し合いはそのときその場で、それぞれにダンスを踊るようなイメージだったといいます。
 けれど実際に救急センターで働くようになり、毎日のように患者家族の深刻な状況に直面し、リースマン医師は考えました。そのときその場で、それぞれに語りかけるのではなく、むしろ「決まりきった言い回し」をくり返す方がいい。
・・・驚いたことに、医療の場でもっとも深刻なやり取りをする場合であっても、自分の人間性を過信するのではなく、定型的なことばの方がずっと人間的になるのである・・・

 自分の人間性を過信しない。
 そこには、患者にとって生命にかかわる話も、医者にとっては毎日くり返される仕事のひとつにすぎないという巨大な感情の落差があります。医者がいつも最大限の思いやりと共感をもって臨むのは非現実的で、むしろ定型的な言い回しの方がいいという洞察は現場だからこそ出てくるものでしょう。
 つきつめていうなら、思いやりや共感を抱いているかどうかではない。あたかもそうであるようにふるまえるかどうかです。
 それなら、AIの方がうまい。

 決まりきった言い回しの方が、より人間的になる。
 医療の場のことだとしても、考えこんでしまう話です。
(2024年10月15日)