診断の誘惑

 自閉症スペクトラムはほとんど軽症者が占めるようになり、重症者がかえりみられなくなったのは問題だと家族が訴えています。
 診断は軽症者自身にもマイナスだという指摘がありました(Autism, A.D.H.D., Anxiety: Can a Diagnosis Make You Better? By Ellen Barry. Oct. 3, 2025. The New York Times)。

 自閉症が、スペクトラムという弱から強にいたる多様性のもとに捉えられるようになり、そういう特性を持つとされる人が飛躍的に増えました。かつて自閉症は重度精神疾患だったけれど、スペクトラムの軽症者はそうではない。「こだわりが強い」とか「社会性がない」といわれることはあっても、ただの市民として暮らしている。

 彼らの多くは、自閉症と診断されてよかったといいます。それまで社会でうまくやることができなかったのは、自分のせいではない、自閉症のせいだと「説明がついた」から。
 ネットには、自閉症の診断にどれほど救われたかがあふれている。自分はだめな人間じゃない、価値がある、認められている、などなど。

 けれど、精神医学者のなかにはこの現象を冷静に見ている人もいる。
 プラセボ効果だと。
 プラセボ、偽薬を与えられたようなもの。自閉症の診断で問題が解決したようにみえても、症状がなくなったわけではない。患者は一時的な高揚を覚るかもしれないが、高揚は年月とともに色あせていく。

 長期的にみて軽症者の診断は役立たない証拠も増えていると、ニューヨーク・タイムズの精神医療専門記者、エレン・バリーさんはいいます。
 ユニバーシティ・カレッジ・ダブリン大学のクリオーナ・オコナー准教授の研究を紹介していました。
 オコナー准教授は、ADHD(注意欠陥・多動性障害)の診断を受けた人を、診断を受けなかった人とくらべている。そして子どものときに診断を受けた人は、より偏見にさらされ、先生や仲間との関係が悪化するといいます。
 思春期にうつ病と診断された人が、その後、診断を受けていなかった人にくらべ重症化する傾向があるのとおなじ現象なのでしょう。

 精神科はほかの科とちがい、早期診断がかならずしもいいとはかぎらない。
 ある精神科医はいいます。診断を告げる前に、患者に十分話をすること。診断は正確ではなく、診断を受けてまずいことが起きることもある、精神科というのは、いつもあいまいで流動的なものだと。
 精神科医も患者も、ともに前のめりになってはいけないということです。
(2025年10月8日)