もう10年以上前から、漠然と思っていることがあります。
この世界を救えるのは小説ではないか。
政治でも関税でも核兵器でもない。小説。絵画や音楽、芝居などもふくめた芸術全般でもいい。そういう表現活動が、それだけが、世界を救う。
いきなり何をいうかといわれてしまうけれど、コラムニスト、モーリーン・ダウドさんの寄稿を読んで思いました(Attention, Men: Books Are Sexy! By Maureen Dowd. Aug. 2, 2025. The New York Time)。

「男どもよ、本はセクシーだ!」というタイトルのコラムです。
「読書はセクシー」とも訳せる。彼女はこう書き出しています。
「知り合いの男が、ジェイン・オースティンの作品をぜんぶ、ひと夏で読んだことがあるという。なんてエロティックな話だろう」
エロティックという語は、こんなふうに使うのか。英語ネイティブでないぼくはいまひとつ語感がつかめないけれど、いわんとしていることはわかる。
「いま、男は本を読まない。小説を買うのは80%が女だ。作家のデビッド・モリスは、若い男は勉強も情緒も文化も退行しているという。悲しい話だ。スマホを見つめている男はセクシーじゃない」
トランプ大統領が野蛮な男らしさをまき散らしているとき、ダウドさんはそこから逃れるためにディッケンズの『互いの友』を読むといいます。主人公の、成熟した男としての姿にひかれ、何度でもほれこむために。

男が本を読まないのは、だれもが金と成功を求める1980年代以来のアメリカ社会で定着した現象といわれる。なんとなげかわしい世の中か。スーザン・ソンタグは小説は斧だといった。未知の世界を切り開き、自分に開示してくれる。自分を開示してくれる。
ダウドさんは、もっと本を読みなさいなんて野暮はいわない。
本って、セクシーだよという。ジェイン・オースティンを好きで読んでいる男はエロティックだとも。
そういう男になれというのではない。そこには「これなくして、あなたは何のために生きているのか」という問いがある。本を読まない男は、この世でいちばん大事なものを見逃しているのではないか。おそらくこの問いかけは彼らには響かない。けれど、もしかしたら、どこかでだれかに届くだろう。
まじめでも必死でもひたむきでもない、セクシーという呼びかけ。この感度のよさは、小説になじんだものでないとわからないかもしれない。
(2025年8月20日)