遺伝子治療の別の限界は、治療費です。
少なからぬ遺伝病が、理論上、治療方法はわかっている。けれど相当な費用がかかる。それをだれが負担するのか。遺伝子治療で助かる患者がいるのに、それを助けようとしないなら、社会の倫理はどこにあるのかという難題が立ちはだかります(These Patients Got the Cure. Then It Went Away. Sept. 22, 2025. The New York Times)。

一例としてあげられていたのは、慢性肉芽腫症(ブリッジズ・グッド症候群)という遺伝病です。遺伝子DNAの1か所の異常で免疫不全となり、感染症にかかりやすいので毎日抗生剤を飲みつづけなければならない。それでも平均寿命は40歳といわれます。
この難病の治療法を、プライム・メディスン(PM)社が開発しました。
病気の原因である遺伝子を修正する方法を見出し、これまで2人の患者を治療している。けれどその時点で予算がなくなりました。
PM社は当初12人の患者を30億円から45億円の予算で治療する予定だった。けれどやむなく中断し、3人目以降の見通しは立っていません。
おなじような話があいついでいます。
カリフォルニア大学のドナルド・コーン教授は、ADA-SCID(アデノシンデアミナーゼ欠損症による重症複合免疫不全症)という遺伝病の治療法を見いだし、実施する企業を探しました。けれどどこも引き受けてくれない。この遺伝病を持つ子の親たちが治療を熱望しているけれど、資金のめどは立っていません。
SPG50という遺伝病になった子の親は、治療のために450万ドル、日本円で6億円以上を集めなければなりませんでした。そんなことは、ほかの親にはできません。

現代医療の最先端は、古来治せないとされてきた遺伝病の治療法を見いだしました。試行錯誤で近年は良好な成果をあげている。けれど臓器移植よりさらに高額なこともわかってきました。金の切れ目が生命の切れ目です。
これをどうするか。
難題というよりむしろ好機という捉え方が、医療経済専門家のなかにはあるようです。治療が可能なら、それで社会正義を実現できる。でもそういう考え方はどこまで通用するだろうか。
これは医療的ケア児とも地続きです。ぼくらが“弱者”をどう見るかの問題でしょう。金がかかる、手間がかかる、自分たちとちがう、そういう人たちから目をそむけるのではなく、そこにこそ目を向ける。その感覚が肝です。
精神障害とおなじでしょう。
問うべきは彼らをどう変えるかではない。ぼくらがどう変わるかです。
(2025年10月3日)