先週からしばらく浦河に滞在しました。いつものようでいて、何かが変わっている。べてるの家がなんだか静かになっていました。
この40年、べてるの家で精神的な支柱だった向谷地生良さんが病気になったためでしょう。進行がんがみつかり、手術していまは抗がん剤治療を受けています。浦河と札幌の病院のあいだを行ったり来たりで、向谷地さんはべてるの家に姿を見せなくなりました。
ズームで自宅から北海道医療大学の講義も行っているというから、まだまだ活動はしているけれど、そのレベルは低下しているのでしょう。
生良さんに代わってべてるの家を切り盛りしてきた向谷地悦子さんも、第一線をしりぞき、大通りのカフェ、「ぶらぶら」の担当になりました。

ぼくは近年ひがし町診療所に行くことが多く、べてるの家にはほとんど行っていませんでした。今回は来客があり、べてるの家の見学に連れて行ったところで、あ、なにかが変わったなと感じたものです。
もちろんべてるの家の社会福祉法人としての活動はこれまでどおりで、メンバーもいつものミーティングをつづけている。作業も訪問看護もグループホームも変わりはない。でも全体に以前とはちがう静けさが感じられました。
向谷地生良さんが回復したら、またもと通りになる。
と、思いたいけれど、べてるがこれまでのべてるではなくなる気もします。
べてるの家はさまざまに変わってきました。組織もメンバーも変わったし、背景にある精神障害のあり方も変わった。浦河という地域、ぼくらの社会も変わっている。それに合わせて変わりながら広がってきたのがべてるの家でした。
そこで、変わらないものは何だったか。

最初期のべてるについて、向谷地さんがいったことを思い出します。
管理の行き届かないところ。
人が人を管理するということ、抑圧したり支配したりすることを拒む。そうならないようにする。べてるの家の芯にずっとあったのは、この気風だったのではないでしょうか。でもべてるは大きくなり、いやおうなく管理もしのびこんできた。
そこをどうするか。向谷地生良さんがずっとめざしたのは、いい意味での「いいかげん」だったと思います。
いまのべてるの家の静けさが、どこでどういうふうに、新しい「いいかげん」に落ちつくのか。どう生まれ変わるのか。そこをみつめたいものです。
(2025年9月22日)