全体主義の敵

 中国で、精神保健対策を求める声が上がっているようです。
 ココ・リーさんという有名な歌手の自殺がきっかけで。彼女は数年前からうつ病だったと遺族が明らかにし、あらためて精神保健が社会問題になったようです。リーさんの死を悲しむ投稿がソーシャルメディアにあるれる一方で、「うつ病の身近さ」や「うつの兆候」といったハッシュタグが広がりました(Coco Lee: Death of pop icon sparks mental health discussion in China. July 6, 2023. BBC)。

 有名人の自殺は、「後追い」を招くので気をつけなければならない。でもリーさんの場合は、うつ病を真剣に考えるきっかけになるかもしれません。
 日本とおなじように、中国でも精神疾患は長らく差別と偏見の対象でした。「うつ病研究所」というサイトを運営する活動家のキー・レンさんはいいます。
「世間ではよく、ビルから飛び降りて死んだ人は学校の成績が悪かったからだなどといいます。でもその人に何が起きたのか、どんな助けが必要だったのかは考えようとしない」
 少しでも背景を知ろうとすること、それが差別偏見の解消につながる。

 中国では、7人に1人が一生のうちに少なくとも1つの精神疾患を発症するそうです。
 上海ニューヨーク大学の心理学者、ジア・ミャオ博士によれば、この十数年、学校や職場でのストレスや燃えつき症候群が注目されるようになりました。
「コロナのせいで精神疾患は増え、収入の低下や雇用問題で誰もが不安をつのらせている」
 精神保健は優先度の高い課題になりました。でも中国には精神科医が6万4千人しかいない。ある程度の対応ができるまでには相当の年月がかかるでしょう。

 中国も、日本とおなじようなものかと思いました。
 その一方で、中国とメンタルヘルスってきわめて相性が悪いんじゃないかとも思います。
 中国共産党は「ゼロ・コロナ」を掲げて失敗しました。精神疾患についても、おなじことが起きるんじゃないかと心配です。こと精神疾患にかんしては、ゼロにしようとか徹底した管理と監視で押さえつけようとしても不毛でしょう。
 精神病は、人間を一方的に管理しようとする人びとにとってはもっとも手強い「敵」です。そもそも、これを敵だと思った瞬間に負けているのではないか。敵味方ではなく、勝ち負けではなく、いかに共存するか。あるいは行ったり来たりするか。そういう呼吸が、はたしてあの強権国家にはあるだろうか。

 精神病の人は、病気をとおしてその人の輪郭が現れるといいます。
 おなじように、社会もまたメンタルヘルスをとおして政治経済とは別の輪郭を現わすのではないか。そこから中国社会を見直してみたいと思いました。
(2023年9月12日)