向かうよりズラす

 ぼくがテレビをまったく見ないのは、テレビより現実の人間社会の方がずっとおもしろいと思うようになったからでした。見なくなって気づいたのは、こころが平和になったことです。事件事故、災害戦争など、悲惨なニュースに接しているとこころがすさんでゆく。ことにテレビという形で見ていると。

 とはいえ、ネットは見ます。
 ぼくが見るネット上のメディアも、テレビほどではないけれど、悲惨なニュースや映像があふれています。やっぱり暗い気持ちになり落ちこんでしまう。そこで絶望のマイナス螺旋に落ち込まないためにはどうすればいいか。いくつかのアドバイスを読みました(How to Follow the News Without Spiraling Into Despair. By Jenny Taitz. Dec. 11, 2023. The New York Times)。

 臨床心理士であるジェニー・テイツさんは、悲惨な、あるいは衝撃的なニュースでショックを受けたら、そこから逃げない方がいいといいます。立ちどまり、自分がそこで何を感じたか、ことばにすることを勧めます。それは悲しみか、憤りか、怒りなのか、はたまた嫌悪感、罪悪感なのか。名付けるとともに、その感情の強さがどのくらいかを意識してみる。そうすることで距離をおき、マイナスの螺旋に落ちこまずにすむかもしれない・・・

 なるほど。でもなかなかそのとおりにはできません。ぼくらは悲惨なニュースに影響され、いつのまにか暗い気持ちで絶望感を強めてしまう。ニュースを見ないわけにはいかないけれど、見てもこころのバランスを取るにはどうすればいいか。

 最低限の所作としてあるのは、やみくもに画面を見つづけるドゥームスクローリング(doomscrolling)と呼ばれるネットの使い方をやめることでしょう。
 たとえばガザの戦争や破壊、あるいはジャニーズ問題で、ネットを際限なく見ているようなとき。もっと情報はないかと必死に探しまわる。そういうことを、どこかでやめる。それは情報を探しているのではなく、いびつな形での満足感を覚えたいだけのことだから。ほとんど依存症の世界ですね。

 とはいえドゥームスクローリングは、ぼくもついはまってしまうことがあります。
 そうなったときまずすべきは、熱いお茶を一杯いれることでしょう。
 感情をことばにしたり行動を起こしたりするのも大事です。でもなかなかそうはできない。にっちもさっちもいかなくなったとき、やめたいけれどやめられない状況に陥ったとき、問題を解決するとか対処するというのではなく、またそこから逃げ出すのでもなく、ふっとズラしてみる。この感覚が大事なんじゃないか。
 ぼくはそれを、精神科の当事者から教えてもらいました。
 専門家のアドバイスもいいんだけれど、やはりズラす感覚を忘れずにニュースに接しつづけたいと思っています。
(2023年12月19日)