進みすぎた技術の元で

 最近の車、ことに高級車は「車輪を付けたスマホ」ともいわれるそうです。
 車がネットに接続されて、車のあらゆる状態がつねにメーカーに知らされている。車輪がついたスマホを使っているのはドラーバーじゃなく、車と車のメーカーです。それで便利で快適な車、車を使った暮らしができる。でもその車が、逆にDVのツールにもなっている、これまずいでしょ、という話がありました(Your Car Is Tracking You. Abusive Partners May Be, Too. Dec. 31, 2023. The New York Times)。

 実例のひとつとして紹介されていたのは、ルイジアナ州の59歳の女性、クリスティンさんです。長年にわたる夫のDVで自宅を逃げ出し、車で5時間ほど離れた娘の家に避難した。そこなら安全なはずが、車のモニターに妙なメッセージが出てくる。調べてみたら、夫がずっと車の行動を把握していたとわかりました。メルセデス・ベンツC300のアプリ、「メルセデス・ミー」を通して。
 似たような例がたくさんあります。
 DVを逃れようとした女性は、車で逃げれば大丈夫と思う。でもその車がDV男による格好の「支配のツール」になっている。

 だったらそんな車やめればいいと、ぼくなどは思ってしまう。
 でもそうじゃない。そこが、この記事の肝です。
 DV被害者の支援にあたっているアダム・ダッジさんはいいます。
「被害者にとっては、車は生命線なんです」
 自宅の車を使うと避難先がわかってしまう、だからやめろ、とはいえない。DVの多くは、そんな余裕ある状況で進行するものではないからです。
 この問題に目を向ける人たちは、運転者が自分の居場所を知られたくないときはそうできるような車を作るべきだと考える。でもメーカーは、DV問題まで考慮して車を作るなんて、できませんよという。このややこしい問題は、当分尾を引くでしょう。

 ぼくにとってとても新鮮だったのは、被害者にとって車は生命線、というコメントでした。
 DVについて、これまでぼくは多くの思いちがいをしてきた。
 以前は、DV?そんなの逃げればいいじゃないの、と思っていました。でも被害者にとって、逃げるってかんたんなことじゃない。そもそも逃げようと思えない。かりに逃げようと思えても、現実に逃げられない。逃げてどうしたらいいかわからない。
 そういう人に「逃げればいい」は無責任です。
 おなじような発想が、車がだめならやめればいい、という言い方になる。
 車は生命線。それに沿った車を、やっぱりメーカーは作るべきじゃないでしょうか。
(2023年1月4日)