スマホからダムホへ

 高機能のスマホをやめ、電話とメールができるだけのかんたんなスマホ、というよりガラケーに乗り換える人びとをBBCが伝えています。
 そういうスマホをガラケーとはいわず、スマートホン(smartphone)をもじってダムホン(dumbphone=愚かな電話)と呼ぶらしい。スマホからダムホへ。乗り換えを実行する人びとがいて、ダムホには確実に一定の需要があるようです(Adults and teens turn to ‘dumbphones’ to cut screen time. June 9, 2024. BBC)。

 この話を理解するキーワードは二つ:スクリーンタイムとFOMOです。
 スクリーンタイムは、スマホのスクリーンを見ている時間。1日何時間も、ときには寝食も忘れてスマホを見つづける。そんな暮らしが心身にいいわけはない。ハーバード大学の研究者によれば、スマホでSNSを見つづけている人は、薬物依存症の人とおなじ脳の部分が興奮している。要するにスクリーン依存症ですね。

 そのもとにあるのがFOMO(fear of missing out)。“逃がすこと”への恐怖。みんなが知ってることを自分も知っていなければ、という強迫観念。それがひたすらスクリーンタイムを長引かせる。

 ロサンゼルスのルーク・マーティンくん16歳は、スマホをダムホに替えました。「みんなスマホを4時間も5時間も見てるし、ぼくもそうだった」。ダムホになって、1日20分になった。自分の自由になる時間が増えました。
 ダムホは音声通話、メール、地図など、ごくかぎられた機能しか使えない。そういうシンプルなモデルがアメリカでは売れているとCNBCは伝えています。たとえばノキア社のHMDグローバルというモデルは、まるで20年前のケータイです。世界的には売り上げが落ちているけれど、アメリカでは毎月コンスタントに数万台が売れている。今後5年、さらに増えるという予測もある。それは親が子どもに、最初の携帯としてダムホを与えるケースが増えているからです。しかしやはり、スマホが若者の精神保健に深刻な影響を与えるという理解が広がってきたことが大きいでしょう。

 ダムホは、メジャーな動きではありません。でもダムホを選ぶZ世代の若者たちが一定数いることは、彼らの賢さを表しているとぼくは思います。
 スマホやネット、とくにSNSは、それを通してつながればつながるほど、人は孤独になることを彼らは直感的に悟っている。誰とでもつながれるのは、しばしば相手は誰でもいいということであり、自分もまた誰でもいい誰かのひとりになっている。濃密な接続。にもかかわらず深まる疎外。そこを敏感に感じとる若者が、スマホではなくダムホを選ぶのではないか。

 彼らは主流ではないし、これからも主流になることはないでしょう。けれどぼくは少数派である彼らのなかに、勝手ながら一筋の希望を見出します。
(2024年6月12日)