学生たちよどこに行く

 二千人逮捕されても反戦の声高らかに米の学生

 6月9日の朝日歌壇に載っていた歌です。
 ガザの虐殺に抗議し、即時停戦を求めて声をあげたアメリカの学生たち。彼らにある種のまぶしさを感じた人が、日本にもいたということでしょう。
 でも、その学生たちこそが問題なのだと、コラムニストのデビッド・ブルックスさんが書いています。反戦がまちがいだというのではない。反戦運動をする学生たちが「特権階級であること」が問題なのだと(The Sins of the Educated Class. By David Brooks. June 6, 2024. The New York Times)。

ハーバード大学

 ブルックスさんは、テネシー大学のM・ノビコフ教授らの論文を引用しています。
・・・ガザ抗議の動きはもっぱらエリート大学で起きている。全米1521の大学を調べれば、それはまぎれもない事実だとわかる・・・
 反戦運動は、低所得層や労働者階級出身の学生が通う大学ではほとんど見られなかった。もっぱら授業料がきわめて高い大学、つまりエリート大学で起きた現象だったというのです。

 自分自身、若いときは左翼で、エリート大学を出たというブルックスさんは、この事態を冷ややかに見ている。
・・・500億ドルの寄付金で運用され、絶大な影響力を持ち、入学希望者の95%をふるい落とすような大学で、どうして彼らは社会の不正義に対し攻撃的な学生や教師でいることができるのだろう・・・

 社会的な不平等、格差、特権に対して立ち上がるはずの学生や教師が、すでにどっぷりと特権にひたっている。それでガザ抗議っていわれてもなあ、というのがブルックスさんの主旨でしょう。特権階級が立ち上がるべきは、ガザの戦争ではない。低所得層の子ががエリート大学に行けない社会、金持ちの子だけがエリート大学に行き親とおなじ金持ちになる、この悪循環を断つために立ち上がるべきではないのか。

 黒人でもあるブルックスさんには、さらに鋭い論点もあります。
 そもそも学生が社会運動をリードできるだろうか。黒人が白人と戦って市民権を獲得したのは1940年代から60年代のことだが、運動の中心は学生ではなかった。労働者階級こそが中心だった。
 その労働者がいま学生から離反し、トランプ支持にまわっている。これをどう見ればいいのか。

 分断と対立はもっぱら右翼のせいだとぼくは思っていました。でもそれは左翼、リベラルが作り出したものでもある。ブルックスさんの論考はそんなことを考えさせてくれます。
(2024年6月13日)