男が小説を読まない

 アメリカの男たちが、本を読まなくなった。とくに小説を。
 マスキュリニティ、男っぽさが小説から消える傾向があるといい、それが原因なのか、結果なのか、そこは判然としないけれど、とにかく男が小説を読まない。
 だからトランプみたいなのが出てくるのか。当然と思う一方で、なんだかそら恐ろしい気もします(Why Did the Novel-Reading Man Disappear? June 25, 2025. The New York Times)。

 男が小説を読まないというのは、出版界では定説らしい。
 それは社会的な損失だという人もいるし、男たちがもっと小説を読んでいたら、もっと他人を気づかい、自分を見つめ、より破壊的ではなくなり健全な社会になったという人もいる。男たちは本を読む代わりにマノスフィア(男性優位の言説世界)にのめりこみ、オンライン賭博やゲームにいそしんでいる。

 書店をのぞくと、男の姿も見かけるけれど、ハウツー本やスピリチュアル本のコーナーにたかっている。大学文学部の教授は、学生に小説への興味を持ってもらうのはとてもむずかしいとなげきます。
「彼らは実用的なものにしか興味がない」
 ゲイではない、ストレートの男たちに小説を読ませるのはむずかしい。
 もともと、19世紀によく読まれた小説は女が女に向けて書いたと、エモリー大学のダン・シニキン教授は指摘します。20世紀の一時期は男の世界になったけれど、1980年代から文学は「女性化」がはじまり、今日にいたっている。出版社は小説を出すとき、30歳から65歳の白人女性を主たる購買層と想定するようになりました。

 ネット上でもリアルでも、読書会やブッククラブにやってくるのは女が多い。
 そこで興味深い例として紹介されていたのは、カンザス州のアンディ・スパックマンさんがはじめた読書会でした。
 彼は妻が作家なので、もっと本について人と話をしたいと思っていた。3年前に読書会をはじめたところ、男のメンバーも来るようになったといいます。彼らと本について語ることができるようになったけれど、何がよかったのか。
「すべてあけっぴろげに話す。うちはアルコールOKなので」

 酒の力を借りて自分を話すのは、邪道かもしれない。でも話さないよりいい。
 マスキュリニティ、男らしさは、男が自分を語るようになると変わる。多くの男は、本を読まないだけでなく、自分を語ることもできない。
 どっちが先なんだろうと考えます。自分を語れないから本を読まないのか、本を読まないから自分を語れないのか。それともふたつは、表裏一体なのか。
(2025年6月30日)