「多新生」の時代

 新しいこの時代をなんと呼べばいいだろうか。
 ニューヨーク・タイムズのコラムニスト、トーマス・フリードマンさんが問いかけています。彼が提唱するのは「ポリシーン Polycene」という造語でした。ポスト冷戦時代でもAI時代でもない、ポリシーンこそがいまの時代にピッタリだといいます。意味としては多様性、複数性の時代ですが、フリードマンさんはずっと文明史的な規模で議論しています(Welcome to Our New Era. What Do We Call It? By Thomas L. Friedman. The New York Timse)

トーマス・フリードマンさん

「新しい時代をなんと呼べばいいのか」という論説は全文4千語の長文で、新聞の記事というよりは雑誌の論文です。
 そこで彼がいおうとしたのは、いまの時代を「人新世」や「AI時代」などといっても実態は反映されない、地球規模で複合的な事象が重なり、複雑に進行しているこの世界は、ギリシャ語の「多(ポリ)」と「世(シーン)」を結び合わせたポリシーンがぴったりだという主張です。感覚的な日本語訳は「多新生」でしょうか。

 フリードマン論のポイントは、「二」から「多」だとぼくは受け取りました。
 二というのは、かつて米ソが対決していた冷戦時代、いまなら米中対立です。あるいは保守と革新、右と左、富者と貧者、白と黒。格差や分断も二になりやすい。
 典型はトランプ大統領でしょう。敵か味方か、へつらうかへつらわないか、白人かそうでないか、金か金以外か、二分法で全世界を処断する。欧州も日本も、右翼、ポピュリストはみな「二」を志向します。
 けれど現実の世界は「多」。はるかに複雑でつながりあい、グラデーションにみちている。

 フリードマンさんはいいます。
「多新生の時代にもっともしぶとく存続できる共同体を作るには、“複合的適応の連携”が必要になる。経済、政治、社会活動や社会貢献、技術革新や教育など、さまざまな問題について広範な連携を実現することだ」
 そのために私たちは「二」の思考を放棄しなければならない。「どちらか」ではなく「両方」ということでもある。
 だから、移民については厳しく規制すべきだが、合法的な移民はおおいに歓迎する。経済成長は必要だが、富は広く分配しよう。外交を重視するが強い軍事力も必要だ・・・。

 分断と対立ではなく、交渉と連携をという論調は、一見ありきたりです。けれど世界トップクラスのリーダーの知恵と思考に接してきたフリードマンさんは、濃密で説得力のある議論を展開している。多新生という切り口でくくり、この不透明な時代の向こう側を見通せた気分にさせてくれます。
(2025年11月17日)