アメリカのウクライナ支援が止まっています。ウクライナ軍は兵士と弾薬が足りず苦戦を強いられている。去年までの楽観論はもうどこにもありません。
そうなったのは一重にアメリカの保守共和党、トランプ前大統領のせいです。バイデン大統領と民主党リベラルに対する憎悪がウクライナへの憎悪になり、まるでプーチン・ロシアを応援するかの空気がある。この驚くべき幼稚さと想像力の欠如がどこから来るかを、コラムニストのニコラス・クリストフさんが論じていました(The Backpack You Need Isn’t for Carrying Books. By Nicholas Kristof. Feb. 10, 2024. The New York Times)。
アメリカ人は外の世界を知らないとクリストフさんはいいます。
パスポートを持っている人が48%しかいない。外国語に興味がない、学ぼうとしない。だからこんな冗談がある。
・・・2言語を話せる人はバイリンガル、3言語ならトライリンガル。では1言語しか話せない人はなんというか? 答え、アメリカ人・・・
世界を知らないことが、しばしばアメリカの対外政策を破滅的なものにしている。いい例が2003年のイラク侵攻でしょう。アメリカ軍が行けば、イラクの人びとは笑顔と花束で歓迎すると思っていた。妄想の最たるものだと、アラブ世界を知る人は笑った。トランプ大統領がふたたび誕生したらアメリカはウクライナもNATOも見捨て、世界は大混乱に陥るだろう。
クリストフさんは若者に訴えます。
外に出よう。外国に行こう。そして自分たちとちがう人に、社会に、文化に出会おう。そこでアメリカに閉じこもっていたらわからない、ほんとの人間性が見えてくる。パリやロンドンへの団体旅行ではなく、韓国やボリビアの地方都市をめざそう。
もっと多くのアメリカ人がもっと多くの外国に行き、さまざまな経験を重ねていればアメリカはもう少し想像力と共感力のある国になったろう。国内の憎悪をウクライナにまで向けるようなひずみも、多少はやわらいでいたかもしれない。
と、クリストフさんのいうことはまっとうです。もちろん批判も多々あるでしょう。そんなことでアメリカの病いが治るはずはないとか、どの国でもおなじことだとか。
でもここでぼくは、くり返すようだけれど東浩紀さんの観光論を思い出すのです。「観光」という入り口を通して、人びとはチェルノブイリに出かけることができる。福島にも行くことができる。もちろん能登にも。そして現地を見ることで、自分のステレオタイプな見方に気づくことがある。メディアやネットでは見えないことが見えてくる。みんなが変わらなくてもいい。でも変わるチャンスは誰にでも訪れる。その可能性を大事にしたい。日本でもアメリカでも。
外に出よう。
誰かどこかで、ウクライナ「観光」ツアーを企画しないだろうか。
(2024年2月15日)