そのシーンをぼくなりに想像すると、こんなふうでした。
「バイデンなんてモウロク爺さんが、偉そうにいうじゃないか、『この国をひとつにまとめる』だと? そんなの、できるのか? 国を『ひ、ひ、ひ、とっつに、まとめる』、だってよ」
あははと笑う数千の聴衆。そうだ、そのとおり。
3月9日、ジョージア州の選挙集会、演説しているのはトランプ元大統領です。政敵バイデン大統領の吃音をまね、“あわれな老人がどもる”さまを再現してみせた。それを笑ってよろこぶトランプ支持者。アメリカ大統領選挙の一場面です(Trump’s Biden Mockery Upsets People Who Stutter: ‘We’ve Heard This Before’ March 11, 2024. The New York Times)。
またかと、吃音者のアメリカ人は怒るより悲しんだでしょう。トランプ元大統領は、これまでもバイデン大統領の吃音をからかったことがあります。ちなみにバイデン大統領は「ひ、ひ、ひ、とっつに、まとめる」などといったことはない。トランプ流の即興アドリブです。
トランプ発言の背景には、吃音、どもりはたいしたことじゃないという多くの人の捉え方があります。からかってもいいという空気がある。けれど吃音は当事者にとっては大問題です。もしも吃音を障害というならば、たくさんある障害のなかでこれほど当事者と非当事者の受け止め方がちがう障害もめずらしいのではないか。
吃音について、ぼくは伊藤伸二さんという吃音者から大事なことをたくさん教えてもらいました。
かつて伊藤さんたちが主催するサマーキャンプを取材したことがあります。夏休みに、全国の吃音の子どもが集まるキャンプ、そこで吃音の高校生が、涙ながらに告白しました。
「こういうの、世界中におれひとりだと思ってた」
自分はどもる、いいたいのにことばが出ない。その苦しさ、つらさ。吃音そのものより、「こういうの」は自分ひとりしかいないと思いこんでいた、そのことがつらかったといいます。
彼のことばで、ぼくは吃音者の、どもる子どもの底しれない孤独を知りました。彼らは仲間と出会い、孤独から脱けだします。でも吃音がなくなるわけではない。そんなのたいしたことじゃないという世間の受け止め方は変わらない。
トランプ候補は、共感力を欠いている。
けれど今回のニュースには、気になる別の反応がありました。アメリカの吃音者のひとりが、トランプ本人より、トランプとともに笑った聴衆に反応したのです。子どものころ、どもりの自分はみんなに笑われた。あのとき笑った人たちが、いまトランプとともに笑っている。
ぼくはともするとトランプ候補に目がいってしまう。でも当事者はちがいます。ほんとうの問題はトランプと「ともに笑う」人たちではないのか。当事者のこの捉え方には、なまじのトランプ論よりも迫りくるものがあります。
(2024年3月28日)