いつどこでそうなったかはわからないけれど、そしてなんとなくではあるけれど、ぼくは「赤ワインは健康にいい」と思っていました。でもそうではない。赤でも白でも、ワインでもビールでも、アルコールはたった1杯でも健康には悪い。それがいまの科学的な合意です。
長年、多くの人が信じてきたアルコールの健康神話は消えました。
それはいい。より重大なのは、ぼくはどうして「赤ワインは健康にいい」と思いこんでいたのかです。ほかにも似たような迷信はたくさんあるのではないかと気になります(How Red Wine Lost Its Health Halo. Feb. 17, 2024. The New York Times)。
「赤ワイン神話」を広めたのは、1991年、アメリカCBSテレビの報道番組「60ミニッツ」でした。フランス人はアメリカ人にくらべて心臓病になりにくい、それはなぜか? 番組キャスターが、画面に赤ワインのグラスを掲げたそうです。
・・・赤ワインのなかには、血液の凝固を防ぐ成分が含まれている、だからフランス人は心臓病になりにくい・・・
この報道の翌年、アメリカの赤ワインの売上は40%も伸びました。
「適度のアルコールは健康にいい」という多くの研究があり、多くの医者がそれを受け入れ、多くの人がこれを常識としたのです。
その常識が、くつがえされました。
赤ワインが心臓にいい証拠はない。それどころか心臓疾患を進める可能性がある。アルコールは何であれ、どんな量であっても健康に悪い。こういう新しい見方が、いまや医学者のあいだに定着しています。
発端は、カナダ薬物使用研究センターの疫学者、ティム・ストックウェル博士らの研究でした。新世代の科学者は、従来の調査を新しい目で徹底的に見直しています。そして適量のアルコールを飲む人に心臓疾患が少ないのは、そういう節度のある人は学歴が高く、富裕で健康保険に守られ、運動の習慣があり野菜をたくさん食べている、といった傾向を見出しています。つまり健康的に暮らしている人がより健康だったに過ぎない。
従来の常識を疑う。異端こそが新しい科学を開く。科学研究の王道でしょう。
とはいえ、異端者、少数派でいることはたいへんです。ストックウェル博士らも、最初の研究を発表した2006年当時は厳しい批判を受けました。しかし研究をつづけ、積み重ねて常識を変えました。
その経過でかいま見えるのは、アルコール産業の強大な力です。偏向したシンポジウムや一見科学的に見える記録など、「アルコール健康神話」は業界の演出だったのではないかと疑いたくなる背景が浮びあがります。
赤ワインへの思いこみも、そういう手のひらの上に乗っていたということでしょうか。
(2024年2月23日)