踏み出す人びと

 豚の腎臓を移植された患者が、手術から2か月後に死亡しました。
 死因は移植のせいではないようで、人間に豚の臓器を移植する「異種間移植」への希望は消えていないようです(Patient Dies Weeks After Kidney Transplant From Genetically Modified Pig. May 12, 2024. The New York Times)。

 豚の腎臓を人間に移植する、医学史上初の試みについてはこのブログでも書きました(4月5日)。ことし4月3日、アメリカのマサチューセッツ総合病院でレオナルド・リエラ医師らのチームが、重症の腎臓病患者、リチャード・スレイマンさん62歳に対して行っています。スレイマンさんは腎臓病のほかに心不全も発症し、人間の腎臓は移植できなかったため、最後の手段として豚の腎臓を移植したようです。
 臓器を「提供」した豚は、あらかじめ遺伝子操作を施されており、人間が拒否反応を起こしにくい腎臓を持っていました。移植された腎臓は期待どおりに働いていたようです。
 しかし手術から約2か月後の5月11日、スレイマンさんは亡くなりました。

豚の腎臓移植が行われたマサチューセッツ総合病院
(Credit: Apollo13Ma, Openverse)

 マサチューセッツ総合病院は死因について、「移植の結果だと示唆するものはない」と発表しています。詳細はわかりませんが、全身状態の悪化が直接の死因だったのでしょうか。スレイマンさんは手術後2週間で退院し、しばらくは自宅で家族とともにすごせたようだから、それが手術による恩恵だったかもしれません。
 豚の腎臓移植を受けたことについて、スレイマンさんは生前「これは私を救うとともに、移植を必要としている何千もの人びとに希望をもたらすものだ」と述べています。
 アメリカには重症の腎不全患者が80万人もいて、腎臓移植を受けられずに死亡する人も相当数にのぼります。もし豚の腎臓が移植に使えるようになれば朗報でしょう。スレイマンさんは、自分はそのために貢献するという思いもあったようです。

 このニュースを見ながらぼくは二つのことを考えました。
 ひとつは、こんな「実験医療」は日本ではまず期待できないこと。豚の臓器を人間に移植する「異種間移植」は、アメリカが切り開いた道を日本がまねして歩むという、いつものパターンがくり返されるのではないか。それはどうしてだろうか。
 もうひとつは、透明性、公開性です。異種間移植だけでなく、先駆的な試みの多くをアメリカは公表する。本人も、スレイマンさんのように堂々と名乗り出て自分の経験を語る。これが日本だったら完全匿名で、病院名さえ公表されないのではないか。

 国民性のちがい、などともいわれます。でもそんなものじゃなく、議論する社会とそうでない社会のちがいじゃないか。議論以前に、考えるかどうかのちがいかもしれない。単純な比較はできないけれど、先駆的な医療についてぼくらは当分アメリカの後を追うしかありません。
(2024年5月14日)