ちがうよなあ。
精神症を描いたミステリを読んで、また、そう思いました。
『藍色時刻の君たちは』(前川ほまれ著、東京創元社)という小説です。

エンタメ小説が、奇行や蛮行を精神症のせいにすることはよくあります。そこで描かれる精神症は現実ばなれしていることが多い。書く方も読む方も、そんなものだと思っている。けれど、これこそが現実の精神症ですと力をこめて描写された作品に遭遇すると、ちょっと気になってしまいます。

『藍色時刻の君たちは』は、統合失調症や依存症、双極症が物語の重要な構成要素になっている。はじめは「よく書けているな」と思うけれど、読むほどに違和感を覚える。
たとえば統合失調症の母親が、電波がこわいといって、電波よけのアルミホイルを自分の全身に巻きつける。アルミホイルの帽子を、娘の分まで作っている。
統合失調症の人ってそんなに一貫してるだろうか。電波恐怖はよくあるけれど、つねにあるわけではない。電波よけにアルミホイルを思いついても、全身に巻きつけるなんてするだろうか。それだけの持続する意思があるだろうか。
狂っているとされる人は、100%狂っているわけではない。波があって変動し、どこかで途切れ、自分でもおかしいという思っていることがある。

フィクションの精神症は、「つくりもの」です。
でも前川さん場合、つくりものと思えない描写がある。それは前川さんが「現役の看護師」だからだと、作品を解説した瀧井朝世さんは指摘します。
「丁寧な記述は、作品内で精神的な疾患を抱える患者や周辺家族が直面する状況のリアリティを担保している」
そのリアリティはしかし、「精神症」ではなく、「看護師が見た精神症」のリアリティではないのか。管理し、支配するもののリアリティ。
ぼくは何度も、精神症者から聞きました。病院の医師や看護師は、自分たちのことをわかっていないと。
迫真の描写のようでいてどこかちがうとぼくが思ったのは、作者がしろうとではなく看護師だったからだと、巻末の解説を読んで了解したのでした。
『藍色時刻の君たちは』は、ヤングケアラーをテーマにした力作です。けれど精神症の描き方には現実からのずれがある。
エンタメだからやむをえないとは思うけれど。
(2026年9月25日)
