ガタリ的

 前回に書いた90年代東京の「だめ連」は、はじめからフェリックス・ガタリの思想に感化されていたようです。
 だめ連を書いた矢部史郎さんは、自分たちはガタリ主義を掲げたわけではなかったけれど、ガタリ的だったといいます。影響を受け、共鳴するけれども「ガタリ主義」にはならない。ここがガタリ思想を考えるうえで大事なポイントでしょう。

・・・ガタリの支持者というのは、ガタリの思想に忠実であればあるほど、ガタリを特権化しないということになってしまう。ガタリが何らかの「主義」に執着せず、横断性に賭けていったように、ガタリの読者はガタリを忘れて自由に走り出してしまうのです・・・

 ガタリは権威や支配、抑圧からいかに自由になるかを徹底して考えぬいた。だから自分自身も自分がいる組織も、権威的、抑圧的になることはない。そのためのさまざまなくふうをこらす。そこで提唱された重要な概念が「横断性」でした。

 哲学的素養のないぼくがガタリを論じるのはあやういけれど、横断性というのはさまざまな組織、思想、社会的な力を横断しながら築いていく生き方、というようなものらしい。あるいはひとところにとどまらず、つねに動き、変化し、結びつきと切断をくり返す。主義主張をかかげる人から見ればとらえどころがなく、あいまいでいいかげんですらある。その一例が東京の「だめ連」だったということでしょう。
 だめ連はガタリ的だったと矢部さんはいうけれど、ぼくは浦河的だと思った。
 というか、浦河がガタリ的なのですね。

 それはフェリックス・ガタリが、精神障害者と深くかかわったからだとぼくは見ています。ガタリは哲学者で社会運動家だったけれど、なによりもまず精神分析家だった。彼の思想の核となったのは、ラ・ボルド病院での精神障害とのかかわりだったのではないか。
 そのかかわりは、治療者としてのものではなかった。
 治療という営為でかかわるのではなく、ベタな言い方だけれど精神障害者に人間としてかかわった。かかわろうとして、なかなかできないという経験をくり返したはずです。その経験が、彼の哲学の核にあるのではないか。

 権威的になっても治療的になっても、状況はひらけない。さまざまな仲間とともに、押しつけでも横並びでもなく、多様な活動のなかで「横断性」に賭けて精神病にむきあう。そんな形がガタリ的とすれば、それはまさに浦河の人びとがしてきたことでした。精神病という困難、そこに提示される人間存在への対峙から生まれたたたずまい。
 浦河は「ガタリを忘れて自由に走り出してしまう」のではなく、「ガタリを知らなかったけれど、知っていたかのように自由に走ってきた」のだと思います。
(2025年1月8日)