ナチスとウクライナ

 知らなければ、存在しなかったことになる。
 そういうことが、いかに多いか。子どものころのぼくは、戦争の悲劇を何も知りませんでした。日本がどれほどひどいことをしたか、朝鮮中国がどれほどの悲惨をこうむったか。そういうことを知らなかったから、ぼくのなかに戦争は存在しませんでした。
 でも少しずつ、知るようになりました。
 峠三吉を読んで。井伏鱒二を、大江健三郎を読んで。文学という営みを通して、戦争という悲惨に置かれた人間の姿を、ぼくはいくらか想像できるようになった。おなじことを、ナターシャ・ヴォーディンという、1945年生まれの作家の著作『彼女はマリウポリからやってきた』(川東雅樹訳、白水社 2022年)で感じました。

『彼女はマリウポリからやってきた』
(ナターシャ・ヴォーディン著)

 ヴォーディンさんの両親は、ウクライナのマリウポリから戦時下のドイツにやって来ました。戦火を逃れるためか、ドイツ軍に強制連行されたのか。そこはわからないけれど、ひとつたしかなことがある。「ロシア」からの労働者は、当時のドイツで「一種の人間の汚物」でしかなかった。そういう奴隷労働者の子として、ヴォーディンさん自身は生まれました。
 胸を打たれたのは、彼らは歴史に存在しないという指摘です。
「強制収容所の生存者は世界文学を世に出した。ホロコーストについての本は図書館に山ほどある。しかしユダヤ人以外の被害者は、強制労働による根絶を生き延びたとしても、沈黙していた」

 ウクライナやポーランドからドイツに強制連行された「東部労働者」は、数百万人ともいわれます。しかし記録には残っていない。彼らはドイツでは「汚物」であり、出身国ではドイツに協力した「反逆者」だった。だから歴史には存在しない。
 ヴォーディンさんは11歳のときに母親が自殺、父親の人生も破綻しています。ドイツ人として育ったけれど、ドイツでは「ロシア人」と迫害された。
「人生の大半を、自分が強制労働者の子であることをまったく知らずに生きてきた。だれも教えてくれなかったのだ。両親も、そしてドイツ社会も、ここでは強制労働という大規模な現象が記憶という文化に保存されていなかった。何十年ものあいだ、わたしは自分自身の人生について何も知らなかった」

ロシア軍に破壊されたマリウポリ市街
(2022年3月 Credit: ウクライナ内務省)

 スターリンの大粛清と、ナチスの大虐殺、そのあいだでさらなる苦難を負ったウクライナ人。それが自分の両親であり、自分自身の出自だった。
『彼女はマリウポリからやってきた』は、こういうノンフィクション的自伝です。同時にひとりの作家が、どこにも存在しなかったドイツの「東部労働者」を、たしかに存在したものとして歴史によみがえらせた作品でもある。彼らを歴史の闇から引き出したのは、文学の力だったと思います。
 ウクライナが、これまでよりもたしかな輪郭をもってぼくのなかに現れます。
(2023年8月15日)