救急車で輸血する。
危篤状態のけが人や病人を、病院に運ぶ前に現場で輸血する。そうすることで、これまでなら死亡していた人が90%助かるといいます。アメリカの首都、ワシントンでの話です(D.C. medics’ new tool to save trauma victims? Bags of blood. September 25, 2024. The Washington Post)。
ワシントンではことし4月から、救急車が輸血用の血液を携行するようになりました。
救急隊員が現場で緊急に輸血を行うケースが、9月までの半年間で125例あったそうです。アメリカのことですから80%は銃創、銃で撃たれての負傷者、これまでだと病院に運ばれる前に失血死する例が多かったのが、現場の緊急輸血で90%が助かるようになりました。画期的な成果です。
救急医療の進歩と称賛したい。
ただしこれがいつまでつづくかはわからない。予算がないので。
救急車が携行する輸血用の血液は、1単位(473ミリリットル)が550ドル。それを全救急車に常時備えることはむずかしい。
予算以上に問題なのは血液の確保でしょう。アメリカでも献血が十分とはいえない。救急医療に使う血液はO型にかぎられるから、なおさらです。救急医療を担当する外科医はいいます。
「われわれは準備ができている。でも血液が足りない」
救急隊による輸血の試みは、ワシントンだけでなくテキサスやコロラドなども進んでいます。救急医療にたずさわる外科医のグループは先月の学会で、救急車に血液を常備すれば年間1万人の命が救えるだろうと訴えました。
こんなことができるのは、アメリカの救急隊員の多くが基礎的な訓練を受けたパラメディック、救急医療隊員だからです。軍隊の衛生兵とおなじように、応急手当ができる。「病院搬送前の輸血」はそういう社会基盤があるから可能です。おまけに銃社会アメリカでは、緊急輸血の必要性が日本よりはるかに高い。
救急隊員による輸血は、血液さえ確保されればさらに広がるでしょう。
そんなのは日本に関係ない話、とはいえないのではないか。
これは社会を、医療をどう作っていくかという理念の話です。アメリカでは救急隊員だけでなく、看護師も基本的な診療や治療などの医療行為ができるしくみがある。
日本では、医者の「権威」が強く残りすぎているのかもしれない。
医者だけが医療を行う。それを当然と思ってきたぼくらは、なぜそれが当然なのか、ときには当たり前と思って歩んできた道を、少し外れて考えてみたいとも思うのです。
(2024年11月20日)