イスラエルがパレスチナを承認しないかぎり、戦争は永久につづく。
ガザの戦争がはじまってもうすぐ1年、人間の悲惨はくり返されるばかりで基本構図は何も変わっていません。
爆撃や破壊の映像を見ると、なんてひどいことが起きてるのかと思う。無抵抗のイスラエル市民を虐殺したハマスのテロは許せない、でも過剰反応するイスラエルはもっと許せないと思ったりする。でもぼくらは映像が伝えるニュースの表面しか見ていない。
そこには、「考える」のではなく、刺激的な映像にただ「反応している」だけの自分がいます。イスラエルはいかん、戦争はいかん、ガザの人びとはかわいそうだ。
反応するだけなら、あのトランプ支持の狂信的な人びととおなじです。ニュースの表面の、もうちょっと下を見ることはできないものか。そんなとき、目に止まったのが、トマス・フリードマンさんの論考でした(What This Israel-Hezbollah-Hamas-Iran Conflict is Really About. By Thomas L. Friedman. Sept. 29, 2024. The New York Times)。
・・・ウクライナや中東で起きていることは、世界規模で起きている「包摂の連合」対「抵抗の連合」の闘争だ。アメリカ中心の民主主義、相互依存でつながる国々と、ロシア、イラン、北朝鮮の全体主義支配でつながる国々の対立。そのなかでイスラエルもハマスも、ヒズボラも動いている・・・
中東の安定はイスラエルがサウジアラビアと国交を正常化できるかどうかにかかっている。正常化できればイランは後退し、イランの手先であるヒズボラも力を失う。そのためにはイスラエルがパレスチナの存在を認めなければならない。
要約するといつもの退屈な論考になるけれど、紙背にはアメリカの外交戦略が浮かびあがります。ポスト冷戦は過去の話で、いまは「ポスト・ポスト冷戦」の時代、そういう構図のなかで、アメリカもイスラエルも、イランもロシアもうごめいている。だからこうなっている。
なるほど。ニュースの表面の、ちょっとだけ下が見えた気になる。
でも、だからどうだというのか。
パレスチナの人びとの苦難から目をそらしてはいけないと思う。そのうえでいくつかの理屈を飛ばしていうなら、ぼくらはやはり自分の足元を見るべきではないのか。アメリカに盲従するのがいやでも、無視することもできない。その一方で、気乗りはしないけれど中国との関係をもう少し太くする必要があるだろう。直接中国と渡りあうのがむずかしいなら、韓国台湾に助けてもらうという手もある。などなど、フリードマン論考からあれこれ、とりとめもなく考えます。
ただ起きていることに反応するのではなく。
(2024年10月2日)