ぼくの町では、バスがよく録音アナウンスを流しています。
「違法な薬物は人生を破壊します。やらない、持たない、もらわない」。警察の広報がくり返され、ぼくらは自動的に薬物はいけないと刷りこまれています。
その平板な視線が、依存症者への差別と偏見に結びついているのではないか。
むかし聞いた、元依存症者のことばが忘れられません。
あたしは薬物に救われた。覚醒剤がなければ、生きていられなかった。
想像を超えるつらい体験をしてきた人は、薬だけが逃げ道になることがある。薬がなければ生きていられなかったという人に、薬はいけませんといっても意味はない。遊びで薬に手を出すのは論外としても、薬物依存者はいつも遊びで依存になっているわけではありません。社会のあり方と結びついた、複雑な人間の姿であり、その複雑さに社会の多数派は目を向けようとしない。
おなじことを、先週書いた依存症者と福祉産業のかかわりでも考えさせられました(Dec. 11, 2024. The New York Times Magazine)。ケンタッキー州で、依存症からの回復をビジネスにして成長したARC(Addiction Recovery Care)という企業の話です。
ARCは1千人の従業員の半分が依存症の回復者です。そのひとり、ケイラ・パーソンズさんは19歳で性的暴行を受け、薬物依存とリハビリ、刑務所への出入りを何年もくり返しました。ARCにたどり着き、過去を振り返っていいます。
「抜け出すためのたったひとつの道は死ぬことだった。だから薬を打ってハイになると、どこまでやったらオーバー(過剰服用)で死ねるか、そればかり考えていた」
麻薬も覚醒剤も、まちがって過剰に摂取し死ぬものだとばかり思っていました。そうではない。死にたいという意図を秘めながら打ちつづけている人がいる。意外なようでもあり、意外ではないという思いもある。ぼくが出会った精神病者のなかには、つらくて消えたい、死にたいという人がたくさんいたし、実際に何人もが自ら命を断ちましたから。
ARCのパーソンズさんは、生き残れた理由についてこういいました。
「ナラティブ(物語)を変える。それがとてもおおきい。いまあたしは仕事に就いている、それはあたしにとってはすごいことなんだって」
物語を変える。自分を書き換える。自分が変わる。
こういう話を聞くと、ぼくのなかには精神科の当事者は「旅をする人たち」という概念が浮かびます。R・D・レインというイギリスの精神科医の提唱する概念です。
遠くまで行って帰ってきた人たち。
そういう旅の人の話を、もっと聞きたい。
薬物はいけませんなんてくり返すだけでなく。
(2024年12月16日)