イギリス議会が「尊厳死法案」の議論をはじめました。
法案が通れば、イギリスもカナダとおなじように、終末期の患者が自らの意思で死亡時期を選べるようになる。そのこと自体よりも、そういう議論が行える社会はちょっとうらやましいなという気がします(Proposed assisted dying bill for England and Wales rekindles debate over choice and ethics. Nov. 13, 2024. AP. Quoted by The Washington Post, Nov. 27, 2024)
法案の骨子は、ほかの国にあるものと大差ありません。
終末期の患者が治癒できず、余命6か月以下と2名の医師が別々に判断し、本人の明確な意志があるなら裁判所の決定のもとに死期を選べるという法案です。
ただ、患者の死に医師は直接手を下せない。患者は死亡するために自分自身で薬を飲まなければならないので、安楽死ではなく尊厳死、自殺幇助死というべきなのでしょう。
イギリスでは終末期の患者の痛みを和らげる「鎮静」が、事実上の安楽死として医療現場で実施されています。だったらそれより条件の厳しい尊厳死をなぜ認めないのか。世論は尊厳死支持のようだけれど政治家は賛否両論で、法案の成立には時間がかかるでしょう。
おなじような法律はすでにオーストラリア、ベルギー、カナダやアメリカの一部の州で成立しており、カナダでは2022年、全死亡者の4%、1万3千人あまりが医師による自殺幇助(MAIDとよばれる)で亡くなっています(本ブログ、2024年1月3日)。
この問題で日本生命倫理学会のサイトを見たら、横浜市立大学の有馬斉教授が『死ぬ権利はあるか』という本を書いていると知りました。著者本人は「反対派の立場を養護する」といっているけれど、網羅的で的確な論考を収めた書という印象を持ちました。
有馬さんはこの本で、自分は「死にかたや死ぬタイミングに関する個人の自己決定については、必ずしも常に尊重されるべきといえない(その意義はそこまで大きくない)と述べた」といっています。おそらくここがすべての議論の焦点なのでしょう。
本人が死にたいといったら、その自己決定が何よりも優先されるのか。そうではなく、自己決定は「常に尊重されるべきとはいえない」のか。
ぼくは自分の死についての自己決定を尊重してほしい。でも人はひとりで生きているわけではないから、死に方もまたひとりで勝手に決めてはいけないという言い方にも一抹の理があると思います。
さはさりながら、つまりは心ある医者が患者本人と話し合いを重ね、そのうえで行う「積極的鎮静」がいちばんいいのではないか。それが違法でなく、医者の負担とならず、本人の意志確認があればいい。そんなことを考えるのですが、それはほとんどそのままイギリス議会に提案された法案になっているようです。
(2024年11月29日)