精神科の緩和ケア・2

 精神科緩和ケアのひとつの例として紹介されていたのは、コロラド州のナオミさんという40代の女性でした。
 十代の初期から摂食障害、拒食症がはじまっています。
 ニューヨーク・タイムズの取材を最初に受けたときは、コロラド州デンバーで栄養リハビリテーションと呼ばれる措置を受けていました。裁判所の命令で強制的に入院させられたのは、あまりにもやせ細り、生命の危機があったからでしょう。

 ナオミさんは、十代のころは自分は治ると思っていました。計画的な食事、グループセラピー、ミーティング。でも治らない。入退院しながら人生は荒廃してゆく。入院中、自分の身体にカロリーを入れる点滴が恐ろしくて管を引き抜くなど、することが乱暴になってゆきます。食べ吐きによる胃酸で歯のエナメルを痛め、修復に2万2千ドル払ったこともある。年月とともに、自分の治療には意味がないと思うようになりました。

 診断名は長いリストになります。食べ吐きタイプ摂食障害粗暴型、骨粗鬆症、低血圧、胃まひ不全、上腸間膜動脈症、強迫症害、PTSD、双極性障害。
 拒食症が原因なのか、結果なのか、病態は複雑です。やせすぎて生命が危険になるかと思えば、双極性障害で世界の頂点に登る高揚感を覚え、うつで猛烈に気分が落ちこんで死にたいと思う。自殺未遂、入退院をくり返す自分に、回復はありえないとインタビューに答えています。
「私は摂食障害で死ぬか、自殺で死ぬかしかない。それでいいと思っている」
 大部分の拒食症患者は、治療で回復に向かいます。でもごく一部の患者はナオミさんのように標準治療に反応せず、難治性と呼ばれるようになる。

 転機をもたらしたのは、セラピストがくれた緩和ケアの論文でした。
 難治性の患者は治療を強制されるべきではない。死亡の危険があるとしても、治療ではなく苦痛を緩和する別のアプローチがあると論文はいっている。
「拒食症の人が食べるのを拒否するのは理性的と思えないかもしれないが、彼女らは治療を中止する権利がある。食べないという合理的でない選択をしていても、そのほかのすべてについては理にかなった判断ができるのだから」
 ナオミさんは驚きました。これまで治療者は誰もそんなことをいってくれなかった。
 さっそく、論文を書いたジョエル・イエガー博士にメールを送っています。
「20年もおなじことをくり返しくり返しやってきて、私はこのしくみと戦うことに疲れてしまいました」
 じゃあやってみようと博士が応え、緩和ケアがはじまっています。
 緩和ケアには、ナオミさんには理性があり、自分の治療やケアについて合理的な判断を下すことができるという前提がありました。
 ナオミさんの、患者の判断を尊重する。かつての精神科には見られなかった潮流です。
(2024年1月10日)