精神科の緩和ケア・3

 精神科の緩和ケアというテーマの中心にあるのは、医療は何のために行うのか、誰のためのものかという疑問でしょう。
 緩和ケアを進める人たちは、精神科の、少なくとも摂食障害、拒食症の患者の多くは、自分の治療にかんして理性的な判断ができるといいます。理性的な判断は、医療者から見て疑問であっても、本人の選択であるなら尊重しなければならない。
 緩和ケアに反対する人びとは、それは医療の放棄であり、医の倫理にもとるといいます。これはつまり、「患者の意志」対「医療の意志」の対立でしょうか(Should Patients Be Allowed to Die From Anorexia? By Katie Engelhart. Jan. 3, 2024. The New York Times)。

 エンゲルハート記者のすぐれたレポートを読んで、ぼく自身は結論を出せませんでした。(結論が出せないからすぐれたレポートだった、というべきでしょうか)
 精神障害者のなかでも、幻覚や妄想などがひどい人は理性的とはいいきれません。もちろん、どんなに重篤な精神症状がある人でも一定の理性はある。「100%狂っている」ことはない。でもつねに100%、本人の判断を尊重することもできない。
 じゃあ摂食障害の場合はどうなのか。
 長年、拒食症の難治例を診てきたイエガー博士らの主張には説得力がありました。
「拒食症の人が食べるのを拒否するのは理性的と思えないかもしれないが、彼女らは治療を中止する権利がある」

 イエガー博士らのもとで緩和ケアを選んだ難治性拒食症のナオミさんは、いまでは自分の医療とケアを自分で決めています。どんな薬をどう飲むかは自分で決める。強制的な医療は受け入れない。自分が希望するときだけ、生命維持などのために一定の処置をしてもらう。そんな形での対処に移行し、いまもなお生き延びています。
 それがすべての難治例に当てはまるわけではないでしょう。けれどナオミさんの場合は、緩和ケアに移行することで、本人にとっても医療者にとってもある程度、納得できる経緯をたどっているのではないか。

 精神科領域ではじまった緩和ケアという考え方、そして実践は、まだまだ一部の動きです。けれど2年前のアメリカ精神医学会では、重篤で長期化した疾患の緩和的精神科というセッションが持たれました。去年は「精神障害における医師の幇助による死」のパネルディスカッションが企画されています。イギリス、オーストラリア、ニュージーランドの関連学会でも、「難治性拒食症をめぐる論争」や、終末期の緩和モデル、といったテーマが論じられるようになりました。
 精神科の領域でも、身体疾患とおなじように緩和ケアがあるべきなのか。議論は広がっています。
(2024年1月11日)