おなじ苦労のくり返し。
まったくおなじではない。おなじ苦労をちがう人がになう。だから苦労がやむことはない。古い苦労はいつも新しい。
禅問答みたいですが、精神障害者の苦労のことです。
この10日ほど北海道浦河町に滞在し、精神科クリニック・ひがし町診療所のみなさんの話を聞きました。苦労は何も変わっていないけれど、人は変わっています。
今回印象に残ったのは、グループホームのひとつでした。
この春から、メンバーのひとりが暴れるようになった。何度も仲間と衝突をくり返す。世話人と呼ばれるスタッフにもぶつかり、スタッフがグループホームを離れるまでになった。家全体が荒れている。どうすればいいか、みんなが悩んでいるけれどいまはまだ方向が見えない。
ほかの町だったら、暴れるメンバーには入院してもらうでしょう。でもここは浦河。メンバーもスタッフも悩みます。こういうの、以前にもあったよね。そう、いっぱいあった。どうすればいいか、やり方を思い出そう。
最初はうろたえた人びとも、頭を寄せ合い考えます。まずは本人の話を聞くこと。話をしてくれないなら、いっしょにいる時間を増やす。いっしょに動いてみる。グループホーム以外にいるメンバーにも応援の輪に入ってもらう。そんなあれこれがはじまっています。
そのなかで、スタッフのひとことが印象的でした。
ぼくらに反応しているんだよね。
ぼくらが、まわりが、彼に対して無関心になり、忘れるとか、「いやだな」という気持ちを持ったりすると、それに彼が反応してしまう。そして暴れる。そういう苦労を持っているんだよね、彼は。
時間をかけるしかありません。
彼が話さなくても、こちらが話しかける気持ちを失わない。彼を大事にしたいという思いを持つこと。さまざまな人がさまざまな形でかかわり、彼が何をしたいのかを探っていく。自分たちが殻から出ていったら、彼もまた別の反応を示すかもしれない。とても時間がかかるし、手間もかかるけれど。そしてまたうまくいくとはかぎらないけれど。
そんなこころみがつづいています。
浦河といえども、メンバーのためにかけられる時間はかぎられるしスタッフも足りません。でもそれを言い訳にしない。もしかしたらこれはチャンスなのだから。
浦河的な、いかにも浦河的なこころみがつづいています。
(2024年7月2日)