衝動と精神障害

「衝動」は、「精神障害」とどうちがうのだろう?
 1冊の本を読みながら、くり返しそんなことを考えました。
 おなじだとはいえない。でもじつによく似ている。その重なりに、衝動を、あるいは精神障害を多少なりとも理解する糸口があるかもしれない。
『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』という本を読んで、そんなことを考えました。

 哲学者の谷川嘉浩さんの著書は、衝動がテーマです。
 衝動は一般的には突然変なことをするとか、いきなり突っ走るというようなイメージがあります。良識あるおとなは衝動で動いてはいけないとも。でも谷川さんの考える衝動は、それとはちがう。「過剰なパッション」とでもいうべきものです。

『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』
(谷川嘉浩、ちくまプリマー新書)

・・・衝動は、嵐がすべてを巻き上げ吹き飛ばしていくように、世の中の理屈も、自分自身の予想もなぎ倒して、私たちをどこかへ連れて行くものです。衝動とともにある生き方は、自分でも驚くような方向へ運ばれることなのです・・・

 理屈ではない。コントロールできない、過剰な熱量を持ったもの。まるでどこからか来て取り憑いたかのように自分を動かし、「え? 何それ?」というようなことをさせてしまうこと。

 三浦祥敬さんという人の例があげられていました。彼は空揚げを揚げ、無料で配り歩く実験を2年半もつづけている。僧侶とともに全国を歩き、お布施ですべてをまかない、無料の空揚げを配りつづける。はたから見れば、誰もが「何それ?」といいたくなる。そんなことをしています。そのほかいくつもの「何それ?」が列挙されている。
 理屈ではとらえられない過剰さ、わけのわからなさ、「人生のレールを外れる」生き方。そういう生き方をもたらす衝動が谷川さんのテーマです。

 重要な論点のひとつが、衝動を「計画的な人生」と対置していることでしょう。衝動とともにある生き方は危険かもしれない。自分のキャリアをデザインして確実に進む方が安全だし、成功するという考え方があるけれど、それを吟味して谷川さんはいいます。
・・・リスクがあるとすれば、自分という人間が持っている固有の偏りや特性を無視して生き方を決めることの方ではないか。横並びで標準化されたルートを歩いて、安全だと思っているかもしれないが、その方がかえって危険なのではないか・・・

 自分の持っている偏りや特性を無視しない。
 衝動とともにある生き方は社会的な成功とは無縁です。だのになぜ人を惹きつけるのだろう。谷川さんの衝動論を読んで、ぼくは衝動が精神障害という現象と地続きではないかと、直感的に感じる部分がありました。そのことを、もうすこし考えてみます。
(2024年5月30日)