完ぺきな芝生をやめよう、としばらく前に書きました(9月26日)。
きれいに、キチッと刈り込んだ青い芝生は上流の暮らしの象徴です。でも大量の除草剤と水が必要で、きちんと刈り込むために手間も暇もガソリンもいる。環境によくないからやめよう、代わりにクローバーがいいという話でした。クローバーなら除草剤も水もいらないし刈り込む必要もない。なにより自然です。
と思っていたら、話には先がありました。
クローバーじゃなく、雑草でいいじゃないか。こう考える夫婦がアメリカの住宅街に現れ、ちょっとした「騒ぎ」になりました。裁判があり、州議会が動き、何年もの論争のあげくに「芝生でなく、雑草でもいい」ということになったのです。これは革命的な変化です(They Fought the Lawn. And the Lawn Lost. Dec. 14, 2022, The New York Times)。
なぜ革命的かというと、芝生はアメリカ中産階級のアイコンだから。
家の芝生を維持するのは市民の責務、それをしないと町内会に訴えられます。メリーランド州ビーチクリークという住宅街にも、そういう芝生の規則がありました。でもここに移り住んだクラウチさんという夫婦は規則に従わなかった。専門家のアドバイスを受けながら、地域の野草を集めて植え、花を咲かせ、「昆虫が授粉しやすい(pollinator-friendly)」環境をつくったのです。その方が芝生よりずっといいと信じて。
隣人は納得しなかった。放置された庭がジャングルのようになり、リスやシカ、ヘビやコウモリがはびこっていると町内会に訴えたのです。もっときれいで見ばえのいい庭にしろというのでした。
クラウチさんたちにとっては、見ばえよりも自然環境の方が大事です。
何年にもわたる裁判があり、その一方で州議会でも議論が起こりました。最終的には2021年、州議会で環境保護の新法が成立するに至っています。この法によって町内会の規則は無効となり、芝生の強制はできなくなりました。雑草の勝利です。
アメリカでは推定7千4百万人が町内会の規則にしばられ、その多くが芝生の管理を義務付けられているようです。その暮らしの常識が空洞化されました。
ぼくはちょっとした感慨とともにこの芝生論争を見ています。
なにしろアメリカの家で芝を刈るのはたいへんだった。仕事が忙しくてちょっと芝が伸びると、近所迷惑かな、刈らなきゃいけないかなと気になってしかたがありませんでした。それが芝生じゃなくクローバーでいいという人が増え、雑草が繁ってもいいという人まで現れている。自然保護が広がっているからでしょう。そこだけ見るといい時代になったと思います。
(2022年12月16日)