幻聴があるなら統合失調症。
ぼくは長いことそう思ってきたけれど、これはまちがいではないか。幻聴は必ずしも統合失調症だけの症状ではない。ほかの病気でも、それが脳の中枢を阻害するなら統合失調症とおなじ症状を起こすことがある。こんな知見が報告されています。
精神医療、ことに統合失調症の理解に衝撃を与える事態です。統合失調症というのはそもそもどういう病気なのか、ますますわからなくなったということでもある。ワシントン・ポストの記事を見てそう思いました(A catatonic woman awakened after 20 years. Her story may change psychiatry. June 1, 2023. The Washington Post)。
ポスト紙が伝えるのは、エイプリル・バレルという女性の例です。
活発で優秀な大学生だったのに、21歳のある時期から支離滅裂となり、やがて周囲に反応しない“緊張性無反応”になりました。ニューヨークの精神科病院に入院したけれど、どんな治療も効果がない。コミュニケーションも日常動作もできないまま、重度の統合失調症と診断されました。それから20年、廃人のような入院生活を送ったといいます。
偶然のことから、コロンビア大学の精神科医、サンダー・マークス教授が彼女を目に止めました。教授は彼女の身体に赤いアザのようなものがあることに注目し、ひょっとして?と調べたところ、「紅斑性狼瘡」という自己免疫疾患があることを突きとめました。
自己免疫疾患は、免疫系が自分自身の身体を攻撃するやっかいな病気です。この病気が、バレルさんの脳中心部の神経細胞に害を与えていた。そのために統合失調症とおなじ症状が現れたとマークス教授は考えました。
だったら自己免疫疾患を治してみたらどうか。そう思って免疫抑制剤などを投与したところ、症状は劇的に好転した。「統合失調症」は消え、バレルさんはまるで20年の昏睡から目覚めたように、記憶を取りもどして家族との再会を果たしています。
この例からマークス教授は、重度の統合失調症患者のなかには自己免疫疾患で統合失調症とおなじ症状を見せる例があると考えるようになりました。そして調べたところ、まもなくバレルさんとおなじような症例が見つかっています。この2例目の患者も免疫を抑制する治療で奇跡的な回復をとげ、10年以上つづいた幻聴や幻視、妄想がなくなって日常生活にもどりました。
こうした例は、統合失調症全体のなかではごく少数でしょう。だからこの方法で救われる人はかぎられます。おまけに免疫抑制剤での治療にも限界がある。けれどマークス教授の発見は画期的で、精神科や脳神経科の研究に及ぼす影響は甚大です。統合失調症、あるいはその症状の発生メカニズムが、ここから部分的にでも解明されるかもしれない。すでにアメリカだけでなく、ドイツやイギリスでも研究がはじまっていると伝えられます。
(2023年6月6日)