語られない真実

 精神科の治療を進めよう、多くの人がそういうけれど、そこにはいつも「語られることのない真実」がある。治療の中心はクスリではないということだ。
 こんな意味の意見を、作家のダニエル・バーグナーさんが述べています。
 はじめはこれを読んで、そんなの当り前でしょ、としか思わなかった。
 でも考え直しました。これを当たり前だと思うぼくは、当り前じゃない。アメリカでも日本でも、精神科治療の中心はいまだにクスリです。ぼくらはいつまでたっても唱えつづけなければならない。そうじゃない、クスリじゃないんだと(A Major Problem With Compulsory Mental Health Care Is the Medication. By Daniel Bergner. June 2, 2023. The New York Times)。

 バーグナーさんの主張は、ニューヨークの地下鉄殺人事件をめぐる議論で出てきたものです。地下鉄でホームレスの精神障害者が殺された事件は、このブログでも何度も取りあげました(5月30日、ほか)。事件が起きて以来、精神障害者の治療や社会復帰を進めなければならないという議論が盛んです。
 でも一歩引いて見ると、全体の議論は医療・治療に流れすぎているのではないか。しかも治療といっても中心はクスリでしかない。そのクスリ、向精神薬は、70年前に登場して以来本質的には何も進歩していないとバーグナーさんは指摘します。
「投薬の必要がないということではない。薬というものが、現状のように治療の柱になってはいけないということだ。向精神薬は服薬する人の約60%の幻覚や妄想をやわらげるかもしれないが、科学的に見れば確実とはいいがたく、長期服用はむしろマイナスという研究もある」

 地下鉄殺人が起きて以来、ニューヨークでもカリフォルニアでも、精神障害者の治療を強制的に進めようとする動きが強まっています。しかし強制は効果がないばかりか有害でもある。私たちは「おそれ」で動くのではなく、創造的に考えなければならない。
「精神疾患が引き起こすさまざまな事態にどう対処すればいいか、それを学んだ人びとに相談することです・・・あいまいなアプローチを大事にすべきだ。それこそが回復への一番の希望なのだから」
 あいまいなアプローチ、hazy approaches。
 それは精神障害という現象に対して、強力で明確、断定的なやり方ではなく、見通しが持てないままにその場かぎりの試行錯誤をくり返す、といったイメージでしょうか。当事者が集まり、語りあい、グループホームやクラブハウスなどの住居をもとに暮らしをつくる。地域に出てゆく。自分たち自身が地域の一部になっていくという複雑な過程です。問題がなくなるのではなく、問題だらけになるのが地域で暮らすことだという捉え方です。
 精神科の主流、多数から見れば、受け入れがたいアプローチでしょう。けれど、ではクスリには希望があるのでしょうか。
 精神科には、語られることのない真実があるのです。
(2023年6月8日)