いるはずだった選手

 オリンピックがはじまったようです。ようです、というのは、ぼくは興味がないので確かなことはわからない。でもほとんどの人はそのはなばなしい光景に引きつけられるでしょう。
 ぼくは、そこに「いなかった」人に注目します。ウクライナから参加するはずだったけれど、ロシアとの戦争で死んだ500人のオリンピック選手とコーチです(The Decathlete Who Picked Up a Gun. July 22, 2024. The New York Times)。

 ウクライナ・オリンピック委員会によれば、ウクライナからパリをめざした選手やコーチのうち、3千人が競技場ではなく戦場に向かいました。そのうちの6人に1人、500人が前線で戦死するか、ロシアの空爆などで死亡しています。

 戦死者のひとりが、十種競技選手のヴォロドモル・アンドロシチュクさんでした。小さいころから運動能力抜群で、2020年にはヨーロッパ・ジュニア選手権で十種競技の6位に入賞している。パリ・オリンピック、4年後のロサンゼルス・オリンピックに出場するのが夢でした。
 しかしロシアとの戦争がはじまり、アンドロシチュクさんは家族の反対を押し切って入隊します。2023年1月25日、東部クレミンナ近くでロシア軍陣地の攻撃に向かい、対戦車砲の砲撃を受けて死亡しました。22歳でした。

 アンドロシチュクさんは、ロシア軍陣地の攻撃に向かった25人の部隊のひとりです。この日の戦闘で、部隊は5人の死者、9人の負傷者を出しています。
 おなじ部隊に、オリンピックのボート競技をめざしていたヴォロドモル・ジュビンスキー選手がいました。ジュビンスキーさんも数か月後に負傷、右足を切断しています。いまはボートの練習を再開し、2028年のパラリンピックが目標です。

(資料映像 Credit: manhhai, Openverse)

 戦死した日の朝、午前3時4分、アンドロシチュクさんはガールフレンドのアリーナさんに最後のメッセージを送りました。2月になったら休暇が取れる。結婚しよう、家族を作ろう。その数時間後には死んでしまった。
 19歳のアリーナさんは、すでに父親も兄もこの戦争で戦死しています。こんどはボーイフレンド。従軍看護師をめざしていたけれど、いまは安全な地で新しい仕事を探したいと思っています。自分まで死んでしまったら母親はたったひとりになる。父と兄とボーイフレンドと、3人の名前を腕のタトゥーに入れました。
「時間がよくわからない。彼らを見たのがきのうのことのようで。自分はこれまでどう生きてきたのか。彼らと、彼らの思い出で生きてきたのだと思う」

 ウクライナでは、誰もが身近な人をなくしている。
 ウクライナから見れば、オリンピックもその影のなかにあります。
(2024年7月26日)