解離・1

 解離について、いくつかメモを書きます。

 ぼくが解離を目撃したのは、友人の早坂潔さんが北海道の浦河赤十字病院に入院していたときでした。
 当時、病棟の和室に座っていた潔さんは無表情でまったく反応がなかった。おみやげにおはぎを持っていったけれど見ようともしない。そばにいた仲間が、むりにおはぎを口に押しこんでもされるがまま。あとで聞いたら、何も覚えていないといっていました。

早坂潔さん(2016年)

 潔さんはよくそんなふうに、「アッパラパー」になった。
 タバコを持ったまま固まり、指をやけどしても気づかない。ラーメンを箸で持ちあげたところで止まり、そのままで麺が乾いてしまった、などなど。
 精神科にはときどき、潔さんのように記憶を失ったり感覚をなくしたり、俗にいう幽体離脱やキツネつき、多重人格になる人が来ます。いずれも解離という症状で、PTSD(心的外傷後ストレス症)が背後にあるとされる。

 潔さんにも、PTSDがありました。
 なぜ解離を起こすかわからなかったけれど、後年、父親の写真を見るとおかしくなるとことがわかった。きわめてデリケートな性格の潔さんは、強圧的な父親のもとで意識を失ったり記憶を消したり、解離症状を起こしていたのではないか。父親はとっくに亡くなり、いまとなっては本人も自分に何が起きたかわからなくなっています。
 PTSDは、またPTSDが起こす解離は、そういうものです。かんたんそうで、解明も説明もむずかしい。なにしろ人間の無意識が起こす反応、変化なので。

べてるの家(北海道浦河町)

 にもかかわらず、ぼくがあらためて解離に目をむけるのは、ことし浦河に「もうひとりの潔さん」が現れたからです。
 浦河べてるの家のメンバーで、「複雜性PTSD、解離症」の祥子さんです。
 精神科に入退院していた祥子さんは、27歳のとき本州からべてるの家にやってきました。数年間は期待の新人として活躍したものの、その後ひきこもり状態で16年をすごしている。衰弱しきって命がつきそうになり、孤独死まで心配された。それが2年前、いくつかの出会いと偶然によって奇跡的な復活をはたしています。

 べてるの家で活動を再開した祥子さんから、ぼくはPTSDについて、解離について、また回復について、刺激あふれる話を長時間、何度も聞くことができました。
 精神科の世界ではおそらく前例のない、貴重な当事者の証言です。
 解離を軸に、その一部をメモにまとめます。
(2026年6月8日)