100年前に南フランスではじまった精神医療の革新は、いまもつづいています。
けれど100年たっても主流にはなっていない。
主流でないからだめなのかというと、そうではありません。精神科は主流にならないのが患者、当事者にとっていちばん生きやすい条件が生まれるのではないか。フランスでも、日本でも。ぼくはそんなふうに見ています。
主流でない革新は、「制度的精神療法」からはじまりました。
制度的精神療法については、すでにこのブログで書いています(8月7日、10月29日)。南フランスのサンタルバン病院ではじまった制度的精神療法は、病んでいるのは患者ではなく病院であり、病院や制度こそ治療しなければならないといって精神科の前衛になりました。
ジャック・ラカンやフェリックス・ガタリらの哲学者や精神科医が加わり、いまも中部フランスのラ・ボルド病院で実践がつづいています。
日本からも多くの精神科医、人類学者や写真家がラ・ボルド病院を訪れ、制度的精神療法を紹介してきました。
けれどこのフランスの潮流は、ちょっといい方はおかしいけれど人気が出なかった。イタリアの精神病院全廃やフィンランドのオープンダイアローグは話題になっても、フランスの動向はあまり聞きません。ぼくの不勉強かもしれませんが、ラ・ボルド病院はニコラ・フィリベール監督のドキュメンタリー「すべての些細な事柄」で話題になったくらいでした。
なんでイタリアやフィンランドなどにくらべ、フランスの実践は話題にならなかったのか。
それは制度的精神療法が主流になろうとしなかったからでしょう。
主流とは、精神科の医療にかかわる医者、看護師、ワーカーら専門職、また精神科に注目する学者、行政や福祉の専門家などにとっての主流という意味です。制度的精神療法はそうした医療職や専門家が中心になるしくみではなかった。だから人気がなく、主流にならなかった。
制度というものを根底から治そうとした制度的精神療法は、患者が当事者となり、医療職・専門家は中心ではなくなります。必然的に混沌があり、管理が困難で、つねになにがどうなっているのかわからないコミュニティになろうとする。
そういう人間の集まりこそが、精神科の本来あるべき姿ではないか。
サンタルバン病院ではじまった動きを、今日ラ・ボルド病院で引きついでいる人びとはきっとそう考えているにちがいない。と、ぼくが思うのは、ラ・ボルド病院を北海道の浦河ひがし町診療所に重ねて見るからです。どちらも、その社会の精神科の主流ではない。
精神科の主流でないとは、どういうことか。
そのことを、さらに考えてみたいと思っています。
(2024年11月11日)