北海道の浦河ひがし町診療所と、フランスのラ・ボルド病院はどこがおなじで、どこがちがうのか。ぼくはラ・ボルド病院を見ていないから文献などで推測するだけですが、およその想像はつく気がします。強引だけれどまとめればこうなるのではないか。
・どちらも、支配と管理がない。
医者と患者だけでなく、だれもが精神病をはさんで対等の立場に立っている。治療は強制でも服従でもなく、だれもが人間としての尊厳を大事にされる。
・目的がない。
病気を治すことが至上の目的にはならない。どんな目的があっても、なくてもいい。
・居場所になる。
患者が安心していられる場所がある。そこでなにをしてもいいし、しなくてもいい。
これらが十分に実現されているわけではない。完成形、到達点というものはないけれど、つねにこんなふうでありたいと思っている病院、診療所。
もちろん、急性期の患者にはある程度の強制措置や入院も必要です。大部分の患者は薬を必要とし、作業療法やデイケアを求めるかもしれない。ラ・ボルド病院の制度的精神療法といえども、実際にはどこにでもある精神科病院や診療所とおなじ部分がある。ちがいは、それらすべてを「制度」にしないことでしょう。
治療よりもっと大事なことがあれば、制度は背景に後退する。
治療より大事なことって何だろうか。
ラ・ボルド病院で「クラブ」と呼んでいるものかもしれない。病院内のクラブで人びとが「たむろ」する。必然的に人と人との接触があり、さまざまなかかわりが生まれる。そこが自由な居場所となることが治療より大事と考えているのではないか。
ひがし町診療所でいえば、大事なのは「悩むこと」です。悩み考え、迷いながらときにそれをことばにしてゆく、そうした過程が患者の回復につながることがこれまで無数にくり返されてきました。回復は、病気が治ることではありませんが。
松本卓也さんがR・D・レインを要約した(と、ぼくが思った)ところによれば、精神病患者は病気によって旅をする。旅から帰ってきた彼らは多数派、健常者に加わるのではなく、少数者としての生き方を模索するようになる。そんな意味あいでの「回復」です。
治療しないわけではないけれど、治療をするだけでもない。治療以外のことをもっと大事にする。そういう精神科は、医療職や専門家には人気がなくても患者・当事者には安心できる場所になるでしょう。
主流にならないというのはそういうことではないかとぼくは捉えています。
(2024年11月13日)