幻覚妄想の広がり

 こんなところにも幻覚妄想大会があったのか。
 思わずニヤリとする一文がありました。
『現代思想』2013年6月号、「特集フェリックス・ガタリ」のなかにあった矢部史郎さんの論考、「九〇年代、ガタリを語りを読んだ頃」です。このなかに、1990年代の東京にあった「だめ連」というグループの「トーク」という活動が紹介されていました。これ、北海道浦河町にあった幻覚妄想大会そっくりだと感心したのです。

『現代思想』2013年6月号

 だめ連のトークを、矢部さんはこう書いている。
・・・だめ連は、他人の話を聴くということを、娯楽にしました。しかもそれは、楽しい話を楽しむというのではなく、反対に、なかなか他人には話せないような深刻な内容を娯楽にしたのです。私たちは解決策の見えない面倒な問題について、相談するのではなく、議論するのでもなく、ただただ娯楽として楽しんだのです・・・
 おお、これって浦河じゃないか。
 主語の「だめ連」を「幻覚妄想大会」に置き換えれば、そのまま浦河で開かれていた幻覚妄想大会のことになる。だめ連というグループをはじめて知ったぼくは、90年代の東京にもこんなセンスのいい人たちがいたんだと驚き、笑ってしまったのでした。

 いや、だめ連と浦河の大会をごっちゃにしてはいけないかもしれません。
 幻覚妄想大会は精神障害者のイベントです。彼らが精神症状としての幻覚や妄想を発表し、みんなで楽しんだのが浦河町の幻覚妄想大会でした。
 一方だめ連は、アウトノミアという「イタリアで生まれた大衆運動」を日本でも実践しようとする動きの中心だったといいます。だからメンバーは健常者だったはずです。健常者が精神障害者とおなじだといったら不適切でしょう。でもここで大事なのは、精神障害者か健常者かではなく、「深刻な内容」を「娯楽」にすることだとぼくは直感したのです。

・・・だめ連の「トーク」を経験した人はみな、臨床的な態度をもつようになりました。そして自分自身に対しても臨床的になりました。自分たちがみなどこか病んでいるということを自覚し、それを肯定したのです・・・
 これもまた浦河的です。
 浦河の精神障害者も、病んでいることを自覚し、肯定して道をひらいてきたのでした。

 東京と浦河。アウトノミアという社会運動と、精神障害者の回復。この二つの、まったく関係のない別々の動きは、しかし「ガタリ的」というおなじ流れのなかにあったのではないか。ぼくはそんなことを考えるようになりました。ガタリ的って、いったいなんだろう。とりとめのない思考をもうすこし手さぐりで進めたいと思っています。
(2025年1月6日)