抗うつ剤のねじれ

 抗うつ剤はヘロインよりひどい。
 トランプ政権の保健福祉長官がこんなことをいって物議をかもしています。
 保健行政の長ともあろうものが、なんてひどいことをいうのか。抗うつ剤はもっと別な形できちんと議論すべきだのに、長官の妄言が議論を混乱させている(Harm From Antidepressants Is Real. Let’s Not Cede the Conversation to Kennedy. By Awais Aftab. May 3, 2025. The New York Times)。

 ロバート・ケネディ長官は、ワクチン反対論者、ワクチンなんか打つから子どもが自閉症になると本気で信じている。国の研究機関を使って自閉症とワクチンの研究を進めるつもりです。意味のない、むだな研究を。
 むだな研究は、まだいい。抗うつ剤の否定は重大な被害を生みかねません。
 長官は、自分の親戚が抗うつ剤を使った経験から、抗うつ剤はいったん使い出すとやめるのがむずかしく、ヘロインよりひどいといいました。またアメリカで銃の乱射事件が起きるのは、プロザックのような抗うつ剤のせいだともいっている。抗うつ剤で攻撃的になる人がいるから乱射事件が起きるといいたいのでしょう。

R・ケネディ保健福祉長官

 おそらく長官は、プロザックなどSSRIと呼ばれる抗うつ剤の副作用を念頭においている。まれに自殺念慮や攻撃性を高めるというこれらの副作用は、早い時期から研究者に報告されながら、長いこと対策が取られなかった。ビッグファーマ、巨大製薬企業は危険を知りながら利潤をあげつづけたことになります。

 精神科医の多くは、いまでは危険の少ない使い方をしている。けれどケネディ長官は、議会で追求されてもかつての自分の発言を否定しなかった。それはトランプ政権におしなべてある、科学や知性の否定の一例です。自分はこう思うから、そんなものは否定する。その自分は有権者に選ばれている。つまり、科学より有権者の信託が上位の審級になっているのです。

抗うつ剤「プロザック」
(Credit: Openverse)

 抗うつ剤の長期使用、またそこからの離脱は、患者にとっても精神科医にとってもむずかしい課題で、かんたんには論じられない。けれど「ヘロインよりひどい」という言い方は、抗うつ剤の役割をゆがめ、患者に誤解を与えると多くの精神科医は懸念しています。

 ぼくのなかには、別の懸念も浮かびます。
 ビッグファーマは薬を「どう使うか」の売りこみには熱心だけれど、「どうやめるか」について決して熱心ではない。向精神薬を長期服用しなければならない患者は、つねに、過剰に、SSRIを使いつづけ、ビッグファーマに囲いこまれる危険がある。ケネディ長官にはこうした懸念にこそ注目してほしいけれど、まあ無理でしょう。
 ビッグファーマの貪欲と政権の愚昧さと。どちらが「よりましな悪」だろうか。
(2025年5月21日)