遺伝子治療は臨床へ

 実用レベルに近づいた。
 遺伝子治療が成功したという新しいニュースに、これはもはや実験ではないとの感を深くしました(Baby Is Healed With World’s First Personalized Gene-Editing Treatment. May 15, 2025. The New York Times)。

 遺伝子治療の試みがくり返されているのは、フィラデルフィアの病院です。
 今回の患者は、去年8月に生まれたKJという乳児でした。出生直後から髄膜炎や敗血症のような異常が疑われ、1週間後、きわめてまれな遺伝性疾患「CPS1欠損症」と判明しています。CPS1と呼ばれる遺伝子に変異があり、体内のアンモニアを分解する酵素が作れないので重度の脳障害を起こす。根治療法はないとされてきました。

 けれど、CPS1遺伝子を修正すればこの病気は治せる。
 患者KJの主治医は、ペンシルベニア大学の遺伝子研究者キラン・ムスヌル博士に助けを求めました。
 KJのCPS1遺伝子を正常な形に変えたい。これはひとりの人間を遺伝子レベルで変えてしまうという、SFのような話です。KJの体細胞のひとつひとつにある、遺伝子DNA30億個の塩基配列のうちのたったひとつを、ピンポイントで修正するという気の遠くなるような作業ですが、ムスヌル博士らは突き進みました。

 2つの大学と、ひとつのバイオ先端企業の数十人の科学者がネットワークを組み、驚くべき集中力を発揮します。
 不可能を可能にしたのは、クリスパー(CRISPR)という遺伝子「編集」技術でした。
 ムスヌル博士らはこの技術で、KJのCPS1遺伝子を正常な形に「書き変え」ようとした。具体的には、クリスパー機能をもたせた化学物質のかたまり、いわば「書き換え部分DNA」と「書き換え装置」を、輸液にしてKJに点滴で投与したのです。

 輸液はねらいどおりKJの肝臓に到着し、少なくとも一部の肝細胞でCPS1遺伝子を正常な形に書き換えたようです。KJの症状は軽快しました。
 2月からはじまった3回の輸液で、危機を脱したKJは体重も健常児に近くになり、いまでは退院して自宅で過ごしています。

 クリスパー技術の、臨床へのはじめての応用だったといいます。
 遺伝子の異常で発症する病気は、わかっているだけで7千種類ある。筋ジストロフィーや嚢胞性線維症、ハンチントン病など、多くの病気がクリスパーを使った遺伝子治療で対処できるかもしれない。まだまだ課題は多いけれど、KJの成功は遺伝子操作技術が臨床応用の段階に入ったことを伝えています。
(2025年4月23日)