解離・2

 祥子さんの「自己診断」は「複雜性PTSD、解離性障害」。
 長年にわたってつづいた強いストレスで複雜なトラウマを抱え、さまざまな解離症状を起こしてきたということです。

 PTSDやトラウマというと、つい虐待やネグレクトを想像してしまう。けれど祥子さんの場合、トラウマの起点は「田舎の旧家」でした。関東地方の由緒ある名家に生まれた祥子さんは、家の名に恥じない「完ぺきないい子」になることを期待された。
 異常なまでに。
 そんな期待でがんじがらめになれば、子どもはつぶれます。暴れたり反抗したり、しつけという名の虐待を受けたり。けれど祥子さんはつぶれなかった。期待に応える完ぺきないい子になった。なってしまった。
 自分を殺して。

祥子さん

 当事者研究で祥子さんは、2歳で弟が生まれたとき、自分はいいお姉さんになるべく「自分自身を完全に殺し始める」ようになったといいます。
 彼女をそこまで追いつめたのは、“名家妄想”にとらわれた父方の祖母でした。妄想が一族を支配し、親族はみな祖母の「奴隷」になっていた。

 完ぺきないい子だった祥子さんは、中学2年の夏に崩壊します。
 なにもできなくなった。ぼうぜんとして自宅に引きこもり、ひとこともしゃべらない。母親はまるで機械がこわれたように、娘が「こわれた」と思ったそうです。
 失読症になって本が読めない。子ども時代の記憶が消えている。不登校と自傷行為がはじまり、自殺未遂をくり返して精神科に通うようになりました。
 べてる的な言い方をするなら、“順調に”こわれたのです。

祥子さんを囲んでの当事者研究(5月、浦河べてるの家)

 あのころの自分は、「身体と意識とを切り離し、記憶や感情など、自分自身をバラバラな状態にして(解離させて)生き延びることに」したと、祥子さんはふり返っている。

 ぼくは20年前、浦河に来てまもないころの祥子さんを見ています。
 当時は「中学で記憶をなくした、たいへんな人」程度にしか受けとめていなかった。なにしろ浦河にはほかにも苦労人がいっぱいいたので。
 20年後、彼女はただの「たいへんな人」ではなくなりました。年月をかけてバラバラになった自分を寄せ集め、取りもどし、ガレキの山から抜け出すように「生還した人」です。その稀有な物語を彼女は語りはじめている。言語で、また非言語によって。
 そこには、ぼくらが知ることのなかった人間存在の形が現れています。
(2026年6月10日)