おとなのムーミン

 ムーミンは、子どもの話と思われています。
 けれど作者のトーヴェ・ヤンソンは、ファンタジーを追求したわけではなかった。フィンランドで、画家で作家でもあるひとりの女性が、なによりも自由を求めて生き、そのなかから偶然のように生まれたキャラクターでした。
 ぶれることのないムーミンのユーモアも、自由と切り離しては考えられません。

『トーヴェ・ヤンソン ムーミン谷の、その彼方へ』表紙の一部
(冨原眞弓、筑摩書房 2025年)

『トーヴェ・ヤンソン ムーミン谷の、その彼方へ』という本を読み、ぼくはまたムーミンを見直すことになりました。
 また、というのは、去年一度、ぼくはムーミンを見直しているからです。ムーミンは戦争で散り散りになった「難民」家族の物語だった。多様性、他者を受け入れるムーミンの世界を、難民排斥に走るヨーロッパで再認識しようという見方があることを、このブログで書いています(2025年5月19日)。

 今回、また見直すことになったのは、ムーミンではなく作者のトーヴェ・ヤンソンでした。
 冨原眞弓さんの著作『トーヴェ・ヤンソン』は、ヤンソンを童話作家としてではなく、自由な生き方を求めつづけた魅力的な女性として描き出しています。
 自由の一端は、父権主義的な美術教育を拒否し、パリやイタリアに遊学した経緯にあらわれている。何度も恋をし、一時は事実上の夫もいたのに結婚をやめ、人生の後半は「女性の恋人」をえて安住した経緯にも。

トーヴェ・ヤンソン(1914-2001年)1966年撮影

 どんな男性といっしょでも、男女であればつねに支配といえなくても真に対等とは思えない関係におかれる。ほんとに自由な関係でいられるのは、女性といるときだけだとヤンソンは悟ったようです。
 二人目の女性の恋人、トゥーリッキ・ピエティラとの「付きあいは静か」で、ヤンソンは「ふたりの愛情を植物を育てるようにゆっくり育てたいという意志」があったと冨原さんはいいます。
「その関係は、ヤンソンに最高の平和をもたらした」

 ヤンソンが生まれたフィンランドは20世紀前半、ロシア(ソ連)やドイツに蹂躙され、過酷な戦乱を何度も経験しています。独立をはたすまでに艱難辛苦の歴史があった。その経験はフィンランド人の深層に埋めこまれている。
 そこから、ムーミンは生まれています。
 冨原さんの労作で、ムーミンとトーヴェ・ヤンソンをふたたび見直すことができました。
「ムーミン谷の、その彼方」は、フランス哲学を専門とする冨原さんだからこそたどり着けた境地でしょう。
 故人となった冨原さんの、ムーミンとヤンソンにかけた情熱に感謝の念を覚えます。
(2026年9月18日)